ある灯台守の休日

 彼の仕事は灯台守。その名のとおり灯台を守るのが仕事です。しかしあまりにも毎日が退屈なものですから、春から秋にかけて美術館なんてものを開いています。といっても退屈がまぎれるほど、お客さんが来るわけではないのですが。

 彼の休日の行動は、じつに謎に包まれています。それでもたいてい愛用の自転車に乗って、いそいそとどこかへ出かけているようです。今日はどちらへ?と尋ねても、彼の返事はいつも「ちょっとそこまで」。

 そんなふうに内緒にされると知りたくなるのが人の常です。これから始まるのは、特別なことはなんにも起こらない、ある灯台守の休日の話です。

 その日、彼がやってきたのはリニューアルされたばかりの美術館。駅から少し離れたところにあるため、美術館の周辺はとても静かです。外観は以前とあまり変わっていないようです。まあとにかく中へ入ってみましょう。

 自動ドアの向こう、美術館入り口の左側にチケット売り場兼受付があります。彼がドアに近づくとそこに座っていた係りの女性が軽く会釈して、立ち上がろうとしました。しかし自動ドアは反応しません。

 日頃から影が薄いといわれている彼にとってはいつものことです。一度ドアから離れ、再び近づこうとした瞬間、彼はあることに気づきました。ひとまず美術館から出ようか、それとも入ろうか。ドアの前でくるくると回っています。予約の時間より10分早い。

 美術館では人数制限のため15分刻みの予約制になっているのです。しかし係りの人がガラス越しにこちらの様子を窺っているので、彼は意を決して ── おおげさですが彼はかなりの小心者のようです、自動ドアへと進みました。

「あの、まだ時間にはすこし早いのですが・・・」

 チケットを受け取った彼は、会場に続く正面階段を昇っていきました。

 絵本から立体作品までレオ・レオーニの充実した作品が並んでいます。絵本作家としての顔しか知らなかった彼ですが、風刺やウィットの効いたイラストやデザイナーとしてのレオーニの仕事に興味津々のようです。

 作品の説明を読んでいた彼の目に『モノタイプ』という言葉が飛びこんできました。『モノタイプ』とは、レオーニの絵本の中でよく見られる滲ませた絵の具の色づかいのことです。

「モノタイプ、モノタイプ……」── 彼は、なにやら考えはじめました。

「あ!」── なにかに気づいたようです。

 彼が思い出したのは、ティモ・サルパネヴァのことでした。つい先日、彼自身の美術館で紹介した『アンビエンテ』というテキスタイルの印刷方法を、サルパネヴァは『インダストリアル・モノタイプ』と呼んでいたのでした。

 最後の部屋の真ん中に椅子が置いてありました。ちょうど部屋には誰もいなかったので、彼はそこへ腰かけてみました。正面の壁には数枚の絵が並んでいます。すべて鳥の絵のようです。それもほとんどが籠の中の鳥です。

 鳥たちは籠だけでなくキャンバスにも閉じ込められているように彼は感じていました。いったいなにを表現しているのだろう。彼は椅子に座ったまま頬杖をついて、しばらく考えていました。

 会場に流されていたドキュメンタリービデオの中で晩年のレオーニは、子どもが羨ましいと言っていました。感受性が豊かだからだろうか、発想が自由だからだろうか。彼はほとほと考えるのが好きなようです。

「自分の作ったものをすぐ誰かに見せて、いいでしょと自慢できるからね」

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 美術館を出て、ふうと息をつくと、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいました。「あ、雲だった」と彼はつぶやきました。