すべての美しい光

美しい植物標本がまとめられた一冊の本。ポール・ヴァーゼンの植物標本。
そこにあるのは花の美しさでも、標本自体の美しさでもない。それはポール・ヴァーゼンが、いつかこの世に生きたことの美しさ。
最後のページを読み終えてすぐ、ATLAS antiquesというギャラリーで、その植物標本が展示されていることを知った。行ってみようと決意したのは、ギャラリーのホームページにアンソニー・ドーアの『すべての見えない光』のことが書かれていたから。
大きなふたつのテーブルと壁の一面に並べられた植物標本。本の中で見た写真の実物が、いま目の前にある。風にそよぐ草花をそのまま、紙の上にとどめたかのよう。とても小さなテープで丁寧に固定されている。
「彼女の指先とか、そうっと震えるピンセットの先とか、思わず止めた息とか。今まさにみえるようだね」
植物標本はどうして作られたのだろう? ポール・ヴァーゼンとは一体誰なのだろう? 本当のことはなにもわからない。ふと、100枚もの標本が入っていたという手作りの箱を見て、ポール・ヴァーゼンから預かり、ずっと大切に保管していた人のことを想った。
「もう確かめようもないけれど… ポール・ヴァーゼン自身の記憶というか、気配みたいなものは、たしかに漂っているとおもう」
かつての持ち主、蚤の市の店主、ATLASの飯村さん、寄稿された堀江さん。手から手へと受け継がれていく中で、かたちを変えて呼び起こされた様々な記憶がそこにはある。それはつまり、ポール・ヴァーゼンの記憶を伝える植物標本があったからこそ。
「そう感じた私がここにいるのだから。それに、そう感じた人はたくさんたくさんいて。だから、すべては… いいんだよね。それで」
見えない光とはなんだろう? 聞こえない声とは? 触れられない記憶とは? でもきっと誰もが知っている。ひとの想いも、感情も、その美しさも、たしかに存在するということを。そういうものこそ、失われることはないのかもしれない。
「だから、きちんと生きていたいと思った。残そうとか、残ってほしいとか、残せるものを作りたいとか、そういうことではないのだけれど…。きちんと生きていることは無駄ではないと、心から思った」
奇跡のような巡り合わせで、ポール・ヴァーゼンの生きた証は陽の目を見た。けれど、そういうことではないんだと教えてもらったような気がする。ただ、歩いていけばいい。
「うん。私たちの足元にはかたちのない、こういう人たちの歩いた道がたくさん交差してるはず。そう思えたことが、いちばんの贈り物。私自身の歩いた道も、願わくばそうありたい」
もしかしたらこの植物標本は、神様が100年前に投函した手紙だったのかもしれない。ポール・ヴァーゼンという女性の記憶を、美しい光の存在を、この世界に知らせるために。