デザイナーは芸術家か? 〜 ティモ・サルパネヴァ、オイヴァ・トイッカ
100年後の未来に残せるものがあるとしたら、なにを残したいと思いますか? きっとこの灯台もいつか消えていくでしょう。でも記憶だけは残せるような気がしています。美術館のある灯台なんてここだけですから ──
イッタラの哲学
フィンランドを代表する食器メーカーであるイッタラ。その創業は、ハメーンリンナ近郊のイッタラ村にガラス工場が建設された、1881年だといわれています。1917年にカルフラ・ガラス工場を所有していた製材会社A・アールストロームに買収され、1950年代までカルフラ=イッタラの名で製品が販売されました。
カルフラ=イッタラは、ガラスデザインコンペティションを開催し、数多くのデザイナーを発掘してきました。そしてアルヴァ・アアルトやカイ・フランクらのパイオニアたちの手によって「美しさと機能性をすべての人のものにする」というイッタラの哲学の基礎が作られました。
1950年代に入るとミラノ・トリエンナーレなどを通じて、フィンランドデザインに新しい地平が切り開かれ、イッタラの製品も国際的な名声を得ることとなります。そこで今回はイッタラのロゴデザインも手がけたティモ・サルパネヴァと、現在もイッタラで多くの製品が取り扱われているオイヴァ・トイッカをご紹介します。
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デザイナーというより芸術家 - ティモ・サルパネヴァ
Timo Tapani Sarpaneva, 1926-2006
1948年 中央美術工芸学校を卒業
1949年 リーヒマキガラス工場主催のガラスデザインコンテストで2位
1951年 イッタラのコンペで優勝し、デザイナーとして採用される
1954年 ミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞
1957年 ミラノ・トリエンナーレの展示デザインでグランプリ
ティモ・サルパネヴァは、ガラスのデザインでよく知られていますが、鋳鉄製の調理器具や磁器のテーブルウェアなど芸術性と機能性が融合された工業デザインを数多く生み出しました。また、彫刻作品やテキスタイルデザインも手がけ、展示会のディレクターや教育者としても活躍しました。
サルパネヴァは、生涯の大半を工業デザインに費やしましたが、自分自身をデザイナーというよりも芸術家であると考えていました 。彼の国際的なキャリアは、1951年のミラノ・トリエンナーレに出品した「Kukko|雄鶏」で銀メダルを受賞したことからはじまります。
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kukkopannumyssy, 1951 (©️Sarpaneva Design) |
これはサルパネヴァのデザインで、彼の母が仕立てたポットカバー。イタリア人には伝わらなかったため、展示ディレクターであったタピオ・ヴィルカラがフィンランドのカーニバルの帽子だと説明したところ、帽子として銀賞を受賞したという逸話があります。
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Kajakki (©️Sarpaneva Design) |
1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞した「世界で最も高価な近代ガラス工芸品」。またサルパネヴァは、1957年のトリエンナーレでも、展示設計でグランプリを受賞しました。
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Sarpaneva (©️Iittala) |
1960年のミラノ・トリエンナーレで銀賞を受賞した鋳鉄製のキャセロール。鍛冶職人だった祖父からヒントを得て、デザインされました。
またサルパネヴァは、1958年から1965年にかけてフィンランド工芸デザイン協会の展覧会のディレクターとして活躍します。この展覧会は世界各国の大都市を巡回し、彼は会場構成から作品の配置、照明デザインなど細部に至るまで指揮しました。
このようにフィンランドデザインの国際的な評価を高めるきっかけとなったのは、サルパネヴァの独特な工業デザインであり、展示会のディレクターとしての彼の手腕によるものだったといっても過言ではありません。
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デザインもするアーティスト - オイヴァ・トイッカ
ヴィープリの農場に生まれたオイヴァ・トイッカは、地域の民間伝承や農耕文化に影響を受けています。機能主義といった北欧デザインの主流とは異なる道を歩んでいた彼は、アラビア製陶所に入社するとすぐに美術部門へ異動しました。1958年の最初の個展では、古風であると同時に現代的である彼の素朴な印象が賞賛され、フィンランドデザインに新風を吹き込む存在と見なされました。
Oiva Kalervo Toikka, 1931-2019
1953年 中央美術デザイン学校で陶芸を学ぶ
1956年 アラビア製陶所に入社
1958年 最初の個展を開催する
1960年 ソダンキュラで美術教師になる
1963年 ヌータヤルヴィガラス工場で働く
1975年 フィンランド工芸デザイン賞を受賞
1963年、アラビアの傘下であったヌータヤルヴィのガラス工場で働き始めます。彼は当初、デザイナーとして知られるのではなく「デザインもするアーティスト」と呼ばれることを望んでいました。また、当時ヌータヤルヴィでアートディレクターを務めていたカイ・フランクとは、その年齢差にもかかわらず、とても親しくなりました。
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Flora, 1966 / Frutta, 1968 (©️Iittala) |
彼のデザインした「カステヘルミ」や「フローラ」のシリーズは、商業的に大成功を収めました。1960年代後半のヌータヤルヴィでは、彼のデザインした食器、グラス、水差し、花瓶、キャンドルスティック、ボウルなど18のシリーズが生産されていました。
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Birds by Toikka (via Meillä Kotona) |
イッタラのためにデザインされた「鳥」シリーズは、フィンランドのガラスデザインの象徴としてよく知られています。1972年から2019年に亡くなるまで、トイッカは400羽以上の口吹きガラスの鳥を制作しました。
彼は、企業のためのデザインと自由な芸術的創造の区別を明確にしていました。また、ガラス製品以外にもマリメッコのテキスタイル、舞台や衣装デザイン、プラスティックのインテリアデザインなど様々な分野のデザインを手がけました。
オイヴァ・トイッカの人間味のあるデザインは、計算され尽くした完璧なデザインではないかもしれません。しかし芸術家としての自由な発想があったからこそ、こうして長い間、愛されてきたのではないでしょうか。とはいえ、そこにはデザイナーや芸術家だけでなく、ガラス吹きをはじめとする多くの職人たちがいたことも忘れてはいけないのかもしれません。