ガラス村の人々 〜 ヌータヤルヴィ・ガラス工場

ここは小さな村ですから、息のつまることもあります。そんな時は灯台の上からいくつも紙ひこうきを飛ばします。そうするとしばらく村の人たちがそっとしておいてくれるんです。不思議ですね ──

ヌータヤルヴィのガラス村は、その周辺に広がる広大な森林の恩恵によって生まれました。ガラスを溶かす窯には大量の薪が必要だったからです。今回は、そこに建設されたガラス工場とその村で活躍したデザイナーたちをご紹介します。

ヌータヤルヴィ・ガラス工場

ヌータヤルヴィ・ガラス工場は、フィンランド国内でのガラスの需要の高まりに応えるため、1793年に設立されました。1849年、工場の所有者となったアドルフ・トルングレンは、最新技術を学ぶため中欧を視察し、技術向上のためドイツからガラス吹き職人を雇い入れ、さらに工場施設や職場環境を整えていきました。

1950年にアラビアの傘下に入ったヌータヤルヴィ・ガラス工場は、カイ・フランクをアートディレクターとして迎え、フィンランド有数のガラス工場へと成長していきます。2014年の春にフィスカルスが工場を閉鎖し、その生産をイッタラに移すまで、ヌータヤルヴィは220年の歴史を持つフィンランドで最も古いガラス工場でした。

現在でも1850年代当時の建築が、博物館やギャラリー、工房やショップとして利用されており、村全体がフィンランドの有形文化財となっています。また、ヌータヤルヴィ・ガラス村には、イッタラのアウトレットやカフェなどもあり、アトリエを見学したり、ガラス吹きを体験をすることもできます。

Gunnel Anita Nyman, 1909-1948

1753年の創業以来、芸術的なガラスを製造してきたヌータヤルヴィ・ガラス工場でしたが、近代的なガラスの製造が始まったのは、フィンランドで最も独創的な芸術家のひとりであるグンネル・ナイマンがデザイナーとして採用された1942年のことでした。

1909年 トゥルク生まれ
1922年 ヘルシンキへ移住
1933年 リーヒマキガラス工場のコンペで3位
1936年 グンナル・ナイマンと結婚
1937年 パリ万国博覧会にガラス作品と家具を出品
1942年 ヌータヤルヴィ・ガラス工場のデザイナーへ
1951年 ミラノ・トリエンナーレで金メダルを受賞

ナイマンは、中央美術工芸学校でアルトゥ・ブルンメルに師事し、家具デザインを学びました。卒業後は、家具のほかスウェーデン劇場の金属細工や教会の照明などを手がけましたが、戦後、ガラスデザイナーへ転向します。

Jug & Glasses
Jug & Glasses (Bukowskis)

彼女は、ガラスそのものの特性に着目し、シンプルで有機的なフォームの作品を制作しました。形、プロポーション、装飾というものは、素材に内在する特性を高めるためだけに存在しているのだと彼女は考えていました。

1930年代初頭、気泡ガラスのデザインを始めます。ガラスの中に偶然にできた泡をデザイン要素としていましたが、1940年代後半になるとガラス作品の表面に、均一な大きさの小さな泡のベールを作り出せるようになりました。

39歳の若さで亡くなったナイマンは、1951年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受けています。 彼女のキャリアは短命に終わりましたが、その後のフィンランドのガラスデザインに多大な影響を与えました。

Kerttu Anneli Nurminen, 1943-

ケルットゥ・ヌルミネンは、1972年から2007年までの間、ヌータヤルヴィ・ガラス工場で働きました。彼女は、イッタラから月給をもらっていた最後のガラスデザイナーでした。

1943年 ラハティ生まれ
1966年 ヘルシンキの芸術デザイン学校で陶磁器を学ぶ
1972年 ガラス職人オラヴィ・ヌルミネンと結婚
1974年 初の個展を開催
1996年 カイ・フランク賞を受賞

ヌータヤルヴィのアートディレクター、カイ・フランクに師事していた彼女は、卒業後インターンとしてヌータヤルヴィ・ガラス工場に採用されます。そこで彼女は、Mondo, Verna, Palazzoなどの有名なガラスシリーズをデザインしました。

Palazzo
Palazzo (Bukowskis)

また彼女は独自のガラスオブジェの制作も行いました。多くは絵画的なモチーフが描かれた平皿で、彫刻や絵画、ブラストなどで描かれた装飾を2層のガラスの間に挟むというグラール技法を用いています。

ヌルミネンにとって自然は最大のインスピレーションの源であり、空や湖、森や四季などが感じられるような作品を作りたいと考えていました。

Heikki Lauri Kalevi Orvola, 1943-

ヘイッキ・オルヴォラは、ガラス、セラミック、鋳鉄、ファブリックなどを扱うフィンランドデザインの主要人物のひとりです。彼は、プロダクトデザインの分野だけでなく、アーティストとしても活躍しています。

1943年 ヘルシンキ生まれ
1968年 ヌータヤルヴィガラス工場に入社
1987年 アラビア芸術部門へ
1988年 キャンドルホルダー「Kivi」をデザイン
1998年 カイ・フランク賞を受賞

オルヴォラのデザインしたコーヒーカップやテーブルウェアは、フィンランド人の日々の生活の中に溶け込んでいます。それらの中でもよく知られているのが、moreeni, 24h, illusia などのシリーズです。

映画「かもめ食堂」で使われた青いお皿「Avec」は、「24h」にカティ・トゥオミネン=ニーットゥラがパターンを施したものです。また「illusia」は、マリメッコの石本藤雄とのコラボレーションであり、オルヴォラ自身も1980年後半マリメッコのためにテキスタイルをデザインしています。

Kivi
Kivi (©️Iittala)

キャンドルホルダー「Kivi」に代表されるように、オルヴォラのデザインでは、無駄のないフォームと機能性がとても尊重されています。──「フォームは私の仕事のすべての基礎です。それはすべての基盤です」

参考:Designed In FinlandYle UutisetUppslagsverket FinlandArt Arabia
表記のない画像はすべてWikimedia Commons