男心と秋の空 〜 ヴィヴィ・ロン、ラルス・ソンク
空が高くなってきました。そう感じるのはきっと、気持ちのいい秋晴れの空を誰もが見上げているからです。そんなひとたちの姿を灯台の上から眺めるのが好きなんですよね。どこまでも続きそうな青空の向こうに、いったい何を探しているんでしょう ──
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エベネセル / Ebeneser talo, 1908 |
Wivi Lönn, 1872-1966
ヴィヴィ・ロンは、フィンランドで最初に自身の事務所を設立した女性建築家です。タンペレの工業学校で建築を学んでいましたが、教師に技術専門学校に移ることを勧められ、追加学生として入学しました。在学中からグスタフ・ニストロム(「デザイン美術館」を設計)の建築事務所などで働き、卒業後すぐに事務所を設立しました。
ロンは、タンペレのフィンランド女子学校をはじめ30以上の学校の設計(未建設も含む)しました。それらの評判により、政府機関から学校建設の責任者の椅子を用意されましたが、独立した立場を維持するため拒否しました。彼女が設計した「エベネセル」は、保育園として設計された最初の施設で、1955年までフィンランド唯一の保育士養成学校でした。
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タンペレ中央消防署 / Pirkanmaan pelastuslaitos, 1908 |
タンペレ中央消防署は、ユーゲントシュティール様式。当時は、中央の湾曲部分に馬小屋と装備のための倉庫がありました。
また学生時代の仲間であったアルマス・リンドグレンから共同設計の協力を申し込まれ、エストニア劇場やヘルシンキ大学学生寮などを建設しました。学生寮は、彼女が建物とフロアプランの設計を行い、その後リンドグレンと共同でスペースの配置や技術的な解決策を検討したそうです。
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ヘルシンキ大学学生寮 / Uusi ylioppilastalo, 1910 |
建築家協会から教授の資格をもらった最初の女性建築家でしたが、1930年代初頭には建築の世界から引退しました。その後隆盛してくる機能主義や新しい建築材料といったトレンドに合わせるよりも辞めることが賢明だと考えたからだといわれています。
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Lars Sonck, 1870-1956
ラルス・ソンクは、前回紹介したゲセリウス、リンドグレン、サーリネンらと共に民族的ロマン主義の発展に主導的な役割を果たした建築家です。彼の建築スタイルは、ネオゴシックやネオロマネスクからユーゲントシュティール、1920年代には北欧古典主義へと劇的に変化していきました。
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聖ミカエル教会 / Mikaelinkirkko, 1905 |
1894年にヘルシンキの技術専門学校を卒業したソンクは、トゥルクの聖ミカエル教会の設計コンペで多くの著名な建築家を抑え、優勝しました。この教会はネオゴシック様式で設計されています。
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タンペレ大聖堂 / Tampereen tuomiokirkko, 1907 |
タンペレ大聖堂は、ユーゲントシュティール様式の教会です。教会の内装を手掛けたのはマグヌス・エンケルとヒューゴ・シンベリ。また同様式によるジャン・シベリウスのアイノラ邸も設計しました。
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クルタランタ / Kultaranta, 1916 |
クルタランタは、ナーンタリにある大統領の夏の別荘で3つの庭園や温室があります。元々は実業家アルフレッド・コルデリンの邸宅でした。ネオロマネスク様式による建築には、他にカッリオ教会などがあります。
北欧古典主義の建築としては、ヘルシンキのミカエル・アグリコラ教会やトーロ地区の住宅などがあります。また彼は、そのトーロ地区をはじめ数々の都市設計も行いました。
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北欧古典主義
1917年にフィンランドが独立を果たすと、建築家の活動領域は都市計画や一般住宅へと大きく発展していきました。同時にブルジョア文化と結びついたユーゲントシュティールは時代遅れとなり、よりシンプルで合理化された北欧古典主義が台頭します。前衛的な建築から民主的な建築への移行とも考えられています。
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国会議事堂 / Eduskuntatalo, 1931 |
北欧古典主義は、北欧諸国にすでに存在していた伝統や新古典主義への回帰に加え、スウェーデンのグンナール・アスプルンド(「森の墓地」で有名)やモダニズムへと繋がるドイツ工作連盟などからの影響も受けています。代表的な建築は、ヨハン・シグフリッド=シレンの設計によるフィンランドの国会議事堂です。
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Puutalo|木の家 |
また北欧古典主義は、多くの重要な公共建築に採用される一方で、低コスト住宅や一般的な家庭建築のモデルとしても採用されました。アルヴァ・アアルトもそのような小規模住宅の設計に携わったことがあります。
住宅の標準化は、第二次大戦以降「帰還兵のための家(Rintamiestalo)」の登場によって、さらに進んでいきました。1940年代から50年代にかけてフィンランド各地で10万棟以上建てられたそうです。
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自分のスタイルを貫ける人と自分のスタイルを変えられる人。標準化や規格化は物事を無味乾燥にしてしまいます。それらが行き着いた先にある100年後の今、自分のスタイルを見つけることが、豊かな暮らしというものにつながっているのかもしれません。
表記のない画像はすべてWikimedia Commons