森は生きている

日曜日、灯台守は街中にある大きな森へ散歩に出かけました。真上を見上げるほど背の高い樹々の梢から太陽の光が降りそそいで、通路のあちこちに丸い光の模様が折り重なっています。鳥たちの囀りや木を叩く音がして、葉を揺らし、その影が枝々をわたっていきます。
そこは100年ほど前に人の手によって造られた森だそうです。通路から木立の奥に目を凝らしてみても、どこまで続いているのかわからないくらい深い森のように見えます。ゆっくりと歩いているうち、彼は森がなだらかな丘の上にあることに気づきました。そこに見えない自然を感じていました。
「自然の中にいる。自然を受け取っている」
同時に彼はフィンランドや北欧諸国の自然享受権のことを考えていました。自由に森に入って、キノコやベリーなどを摘んだりすることができる。それはいいねと安易に考えがちですが、そこには暗黙のルールがあって、自然を守り、後世へ受け渡すことを誰もが前提としているように見受けられます。モラルや道徳というより、もっと当たり前のこととして。
この森や里山といった人工の自然と、野生の自然というものにどんな違いがあるのか、彼にはよくわかっていません。太陽の光を浴びて、空に伸びていく樹々にもきっとわかってはいないのだと、彼は思いました。その一本の樹は自然でしかないはずだから。そして森を出た彼は、自動車の行き交う街を歩きながら、こんなことを考えていました。
「人の存在が自然であるかぎり、人の営みも自然なのかもしれない」
生活や暮らし、生きること、自然。そんなことを灯台守が考えたのは、その日がちょうど彼の誕生日だったからかもしれません。そして彼は、一緒に散歩してくれた方たちから、かけがえのない1日という贈り物を受け取っていました。うれしくてその夜はなかなか寝つけなかったそうです。