波のかたち 〜 アルヴァ・アールト

灯台の壁の色、ご覧になられましたか? 赤、橙、黄、緑、藍、紫の6色です。ええ、もう1色欲しいような。では、お帰りの際にもう一度、灯台を見上げてみて下さい。今日はとてもきれいな青空が広がっていますから ──


Hugo Alvar Henrik Aalto, 1898-1976

1898 クオルタネ生まれ
1903 ユヴァスキュラへ転居、その後アラヤルヴィへ
1916 ヘルシンキ工科大学へ入学。アルマス・リンドグレンに師事
1923 ユヴァスキュラに建築設計事務所を設立
1924 アイノ・マルシオと結婚。新婚旅行でイタリアに感銘を受ける
1933 パイミオのサナトリウム完成
1935 アルテックを共同設立
1937 パリ万博で「サヴォイベース」を発表

サヴォイのアールとベース

本日の展示作品は、フィンランド・デザインの象徴ともいえるアルヴァ・アールトの「アールトベース」です。この花瓶はヘルシンキのレストラン「サヴォイ」で使われたことから「サヴォイベース」とも呼ばれています。

Alvar Aalto Collection
Alvar Aalto Collection (via Iittala)

ところで、この特徴的なかたちは一体どこからきているのでしょう。フィンランド中にある湖のかたちにも見えます。それとも白樺の幹の根本でしょうか。(フィンランド語でアールト)を表現したものだと言われることもあります。

パイオミチェア

アルヴァ・アールトは建築設計をする際、妻のアイノと協力しながら、それぞれの建物に合わせて家具や照明器具のデザインもしました。例としては、パイミオのサナトリウムのために作られたパイミオチェアが有名です。この椅子にはアアルトの定番でもあるスツール60と同様、合板を曲げる技術が使われています。

41 Armchair “Paimio”
41 Armchair “Paimio” (via Artek)

アルテックの設立

そして1935年、アールトの家具の生産と販売を促進するため、後援者のマイレ・グリクセン、美術史家のニルス=グスタフ・ハールらと共同で、アルテックを設立しました。アルテックの理念は「家庭での日常生活をより美しくする」というもので、これは前回お話しした『Vackrare Vardagsvara』からのアイデアだと思われます。

アルテックの社名は、Art + Technology の造語。これはバウハウスのヴァルター・グロピウスが唱えた「アートとテクノロジーの統合」という言葉から名付けられました。またアルテックの4人は、美術史家のベルテル・ヒンツェ、美術評論家で社会学者のアンテロ・リンネと共に、現代美術協会(Nykytaide ry)を創設しています。協会はフィンランドにモダニズム文化を広め、国際的な交流を深めることを目的として、現代美術に焦点を当てた展覧会を開催するなど、1939年から1990年まで活動しました。

エスキモー女性のレザーパンツ

家具などのデザインも手がけるようになったアールトは、さらに自由なデザインを求めて、ガラスに興味を持つようになりました。そこでデザインされたのがアールトベースです。1936年のカルフラ=イッタラのガラス・デザインコンペティションでは大賞を受賞しました。

出品時の名称は「Eskimoerindens skinnbuxa(エスキモー女性のレザーパンツ)」であり、サーミの女性の伝統的な民族衣装から着想を得たとされていました。湖? 白樺? 波? それとも民族衣装? 本当のところはどうなのでしょうか。アアルトにからかわれているような気分になってきます。

アールトのかたち

それでは最後に、以前教えてもらったリサイクルガラスを利用したアアルトベースの記事をご紹介したいと思います。

── 工場で毎年何トンも出る廃ガラスは、建築現場などで断熱材(グラスウール)として使用されてきました。そこでイッタラは廃ガラスを再利用して新たにアアルトベースを製作することにしました。まず6色のガラスを破砕機で粉々にして、1400度の炉で溶かします。それを通常の製作過程と同様に、ガラスを吹き、鋼鉄製の型枠で成型し、口の部分を研磨。最後にリサイクルの刻印を入れて完成です。このようにして人の手を介してつくられるため、ふたつとして同じものはありません。(※記事の抄訳です)

80年以上も前に生み出されたアアルトのかたちは、こうして今も世界中で親しまれています。

参考:Visit Alvar Aalto