アラビア美術部門 〜 トイニ・ムオナ、ビルゲル・カイピアイネン
芸術なんてなんの役にも立たないというのなら、どうして芸術はいまも存在しているのでしょう。植物にとっての太陽のように、鳥たちにとっての翼のように、生きていく上でなくてはならないものなのかもしれません ──
アラビア製陶所は、1873年に首都ヘルシンキの別荘地アラビア地区にロールストランドの子会社として創業しました。当初はロシアへの輸出向けの陶磁器を製作していました。1932年、民族的ロマン主義の高まりと共にフィンランド独自の製品を生み出すことを目的に、クルト・エクホルムをアートディレクターとして迎え、美術部門「Arabia Art Department」を設立します。
そこで今回は、トイニ・ムオナとビルゲル・カイピアイネン、そして彼らが所属したアラビア美術部門のその後についてご紹介します。
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陶芸の貴婦人 - トイニ・ムオナ
トイニ・ムオナは、アラビア美術部門の創設メンバーのひとりです。彼女は1929年以来、フィンランド美術工芸協会とオルナモが主催する展示会に毎年参加するなど、1940年代のフィンランド陶芸界において最も尊敬される芸術家でした。
Toini Irene Muona, 1904-1987
1904年 ヘルシンキ生まれ
1926年 中央美術工芸学校を卒業後、アテネウムの陶芸スタジオに所属
1931年 アラビアに入社
1932年 アテネウムの美術館で最初の展示会を開催
1933年 美術部門のアーティストとして働く
1944年 ビルゲル・カイピアイネンと共同展覧会を開催
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Stoneware dish / Ceramic bowl - Arabia (via Bukowskis) |
自然の形や古い陶器に触発され、釉薬の色を限定し、よりシンプルな形をめざすことで、彼女独自のスタイルを開拓します。それはアラビアの大量生産の磁器とは離れていくことを意味しますが、ビルゲル・カイピアイネンやルート・ブリュックらと共に、デザイン部門に対するアウトサイダーとして活躍しました。周りはそんな彼女を「Grande dame」と呼びました。
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Vase - Riihimäen Lasi (via Bukowskis) |
ムオナはまた、1937年と1949年にはアトリエヴィジルのテキスタイル、1949年にはリーヒマキのガラス、1960年代初頭にはヌータヤルヴィの工場のためにデザインを手がけましたが、1970年に引退するまでアラビアに所属しました。そんな彼女の業績を記念して、アラビア地区にはトイニ・ムオナの名を冠した通り「Toini Muonan katu」があります。
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装飾家の王様 - ビルゲル・カイピアイネン
ビルゲル・カイピアイネンは、フィンランドで最も有名な陶芸家のひとりです。50年間にわたるキャリアのほとんどをアラビアの美術部門で過ごしました。 当時はミニマリズムが主流でしたが、自然をモチーフとしたノスタルジックでロマンティックな装飾性の高いデザインから「陶芸の王子」または「The King of Decorators」と呼ばれていました。
Birger Johannes Kaipiainen, 1915-1988
1915年 ポリ生まれ。1歳の時にヘルシンキへ
1937年 中央美術工芸学校を卒業後、アラビアの美術部門へ
1949年 イタリアのリチャード・ジノリへ、ミラノで展覧会
1954年 アラビアの姉妹会社であるRörstrand(スウェーデン)へ
1958年 アルミ・ラティアの紹介でマギー・ハロネンと結婚
1969年 「Paratiisi」シリーズを発表
カイピアイネンは若い頃にポリオに罹患し、常に杖を必要としていました。その病気の直後、父を亡くしています。また1966年には妻のマギーも突然の病で失いました。病気と大切な人の損失は、輝かしい記憶や過去への郷愁、現実からの逃避や美しい世界への憧れといった彼の作品のトーンに強い影響を与えました。
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Paratiisi, 1969 (©︎Arabia) |
豪華なフルーツと花の装飾が施された「パラダイス」は、アラビア製の最初のシルクスクリーン印刷シリーズです。1970年代半ばに製造が中止されましたが、その後、生産が再開されました。現在では、フィンランドデザインの古典の一つとされています。
カイピアイネンは、1960年のミラノ・トリエンナーレでフィンランドの壮大な風景を背景にしたビーズの鳥をデザインし、グランプリを受賞しました。また1967年、モントリオール万博のために製作された「Orvokkimeri/スミレの海」は現在、タンペレ市議会に設置されています。そのほか舞台装飾や衣装などのデザインも担当するなど、多くの才能を発揮しました。
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Sunnuntai, 1971 (©︎Arabia) |
「日曜日」シリーズは、カイピアイネンによる、もうひとつの代表的なデザイン。2019年にアラビア社によって生産が再開されました。現在、アラビアはイッタラグループの一部となっています。
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その後のアートデパートメント
ルート・ブリュックや彼らによって多くの優れた作品が生み出されてきましたが、戦後の貧しい時期、本来日用品メーカーであるアラビアの美術部門に対して批判の声が聞こえるようになってきました。そこで1945年、プロダクト・デザイン部門のリーダーとしてカイ・フランクを抜擢します。彼の指揮のもと「Kilta」をはじめとする数々のヒット作を発表し、アラビアは1950年代から60年代にかけて黄金期を迎えました。
2003年、美術部門はアラビアから独立し、アラビア・アートデパートメント協会として再出発しています。協会には9人のアーティストが在籍し、旧アラビア製陶所にあるスタジオで現在も自由な製作が続けられています。
参考:Arabia, Biografiakeskus, Axis Web Magazine, Iittala & Arabia Design Centre
表記のない画像はWikimedia Commons