オリンピックのそのあとで 〜 ヴィリヨ・レヴェル、エーロ・サーリネン

の灯台もだいぶ古くなってきました。けれど時間の蓄積はなにものにも代えられない財産だと思っています。時間というのはひとの手や足跡、声や言葉、数えきれないほどの想いで出来ているのではないでしょうか ──

オリンピックスタジアム / Helsingin olympiastadion, 1938
オリンピックスタジアム / Helsingin olympiastadion, 1938

ヘルシンキ・オリンピック

ヘルシンキオリンピックスタジアムは、フィンランドの機能主義を象徴する建築です。まだ新興国のひとつであったフィンランドにとって最先端のモダンな建造物を世界に披露するまたとない機会でした。

スタジアムを設計したのは、ともに1900年生まれのウリヨ・リンデグレンとトイヴォ・ヤンッティ。モニュメントの塔は、1932年のオリンピックでマッティ・ヤルヴィネンがやり投げの金メダルを取った72.71mと同じ高さです。また今年2020年に改装・再オープンしたばかり。

オリンピックの開催を返上した東京に代わり、1940年のヘルシンキオリンピックのメイン会場として使用する予定でしたが、第二次世界大戦のため大会自体が中止となってしまいました。

Viljo Revell, 1910-1964

ヴィリヨ・レヴェルは、1910年にヴァーサで生まれ、1937年にヘルシンキ工科大学を卒業した機能主義の建築家です。卒業と同年、学生仲間のハイモ・リイヒマキとニーロ・コッコとラシパラッツィ(ガラスの宮殿)の設計コンペに出展し、優勝しました。
ラシパラツィ / Lasipalatsi, 1936
ラシパラツィ / Lasipalatsi, 1936
ラシパラッツィは、カンッピにある商業ビルです。元々は10年後に取り壊す予定でしたが、市民による反対で保存されてきました。2018年には敷地内にAmos Rex美術館がオープンしました。
産業センター / Teollisuuskeskus, 1952
産業センター / Teollisuuskeskus, 1952
レヴェルとケイヨ・ペタヤが建築コンペで優勝した「Ratas|歯車」という名の作品。1952年のヘルシンキオリンピックに間に合わせるように建築されました。また2009年まではホテルとして使用されていました。
トロント市庁舎 / Toronto City Hall, 1965
トロント市庁舎 / Toronto City Hall, 1965
アールトの弟子であるレヴェルが世界的な名声を得たのは、トロント市庁舎のコンペで優勝したためです。レヴェルのほか、ヘイッキ・カストレン、ベングト・ルンドステン、セッポ・ヴァリウスの4名で設計しました。レヴェルは完成を見ずに亡くなりました。
City-Center with Heikki Castren, 1967
City-Center with Heikki Castren, 1967
シティ・センターはレヴェルのあとをヘイッキ・カストレンが受け継いで建設されました。以前あったテオドール・ホイヤーの美しい建物と比べられ、マッカラタロ(ソーセージビル)と呼ばれています。
Skohan talo by Theodor Höijer, F.A. Sjostrom, 1870s
Skohan talo by Theodor Höijer, F.A. Sjostrom, 1870s
またレヴェルは、アルヴァ・アールト、アールネ・エルヴィ、カイ・エングルンドらとともに「建築基準ファイル|Rakennustietokortisto」の発起人の一人として建築の標準化に寄与しました。

Eero Saarinen, 1910-1961

エリエル・サーリネンを父に持つエーロ・サーリネンは13歳でアメリカへ移住。父が教鞭を執っていたクランブルック美術アカデミーで彫刻や家具デザインの授業を受けました。そのときにイームズ夫妻と親交を深めました。
その後、イェール大学で建築を学び、1937年に父と共同で設計事務所を設立しました。また彼は、1940年に米国籍を取得しています。
スウェーデン劇場 / Svenska Teatern, 1935
スウェーデン劇場 / Svenska Teatern, 1935

スウェーデン劇場 / Svenska Teatern, 1866(1920年頃撮影)
スウェーデン劇場 / Svenska Teatern, 1866

1860年に建てられたスウェーデン劇場(新劇場)は3年後に火災で焼失し、1866年、ロシアの建築家ニコラス・ベノワによって再建されました。そして1935年にエーロとヤール・エクルンドによって改装されました。

ジョン・F・ケネディ国際空港 / TWA Flight Center, 1962
ジョン・F・ケネディ国際空港 / TWA Flight Center, 1962

1950年に父が亡くなると自身の設計事務所を設立し、企業のオフィスビルや大学のキャンパスなど多くの建築を手がけました。フライトセンターは2002年までターミナルとして、2017年からホテルとして運営されています。

ゲートウェイアーチ / Gateway Arch, 1965
ゲートウェイアーチ / Gateway Arch, 1965

ゲートウェイアーチは、セントルイスの国立公園にあります。1948年のコンペで優勝した際、誤って、父エリエルに賞が贈られるというアクシデントがありました。

彼の建築は、流れるような曲線の表現主義的なスタイルが特徴で、建築の内装や家具、チューリップチェアなど椅子のデザインも手がけています。

アールトらによって確立されたフィンランドのモダニズム建築は、このように次世代へと受け継がれ、フィンランド国内だけでなく、世界中にその影響を与えることとなりました。

表記のない画像はすべてWikimedia Commons