フィンランドの原風景 〜 アクセリ・ガッレン=カッレラ

海を見ていると心が安まるのはどうしてだと思いますか? 海はいつまでも海だからです。波打ち際に立って見えるその景色はずっと変わることはありません。きっとこれこそ原風景ではないでしょうか。だからこうして一日中、灯台から眺めていても飽きることがないのでしょう ──

Aino Myth, Triptych
Aino Myth, Triptych

Näsijärvi - Taitelijoiden Ruovesi

前回に引き続き紹介するのは、タンペレの北に位置するナシ湖周辺のルオヴェシ。ここにも多くの芸術家たちが集まりましたが、トゥースラ湖のような密接なコミュニティは形成されませんでした。

最も有名なのはアクセリ・ガッレン=カッレラで、その他ヒューゴ・シンベリ、『モダン・ウーマン』の回で紹介したエレン・テスレフやエルガ・セーセマンらも、ここルオヴェシで過ごしました。

Kalela, 1895
Kalela, 1895

カレラは、ガッレン=カッレラ自身が設計した丸太小屋で、荒野スタジオと呼ばれていました。ずっと美術館として利用されていましたが、近年はしばらく公開されていないようです。2020年にはアテネウム美術館で『ルオヴェシの芸術家たち』という展覧会が開催されました。

Akseli Gallen-Kallela, 1865-1931

アクセリ・ガッレン=カッレラは、フィンランドで最も重要な画家のひとりです。11歳の時、画家になることを反対していた父親によって、ヘルシンキのグラマースクールに入学させられました。父の死後、1881年からヘルシンキ絵画学校に通うようになり、アドルフ・フォン・ベッカーから個人的に学ぶこともできました。

1884年になるとパリのアカデミー・ジュリアンへ留学し、アルベルト・エデルフェルトやスウェーデン人作家のアウグスト・ストリンドベリらと親交を深めます。そして1890年、新婚旅行で訪れた東カレリアで「カレワラ」に関する資料収集をはじめました。

カレワラは、19世紀に医師エリアス・リョンロートが、カレリア地方の口承民話や神話、民謡などを採集し、編んだフィンランドの民族叙事詩です。美術だけでなく、文学、音楽、建築、デザインなど、様々な分野での民族的ロマン主義の題材として、またフィンランドの民族意識を支える象徴として、国家の独立を後押ししました。

その後、妻メアリーをモデルにして『アイノ神話』を描きます。この時期には、そのような民族的な絵画やカレリア地方の風景画を多く描きました。

Imatra In Winter, 1893
Imatra In Winter, 1893

カレリアは、フィンランドの南東部からロシアの北西部にかけて広がる森林と湖沼の多い地方で、フィンランド人にとっての精神的な故郷ともいわれています。また国家民族主義のフェンノマン党は、カレリアをスカンジナヴィア人やスラブ人に“汚染されていない”古き良きフィン人の文化の故郷と見ていました。

Symposion, 1894
Symposion, 1894

当時の芸術家の多くはロシアに対抗する「Nuorsuomalainen Puolue(若いフィンランド党)」を支持していました。そのような集まりでのオスカル・メリカント、ロベルト・カヤヌス、シベリウスを描いたものです。

1895年、ベルリンでエドヴァルド・ムンクと合同展示会を開催し、象徴主義者たちと知り合います。その後、ロンドンやサンクトペテルブルグ、ウィーンなどを訪れ、イタリアではフレスコ画を学びました。

Sketch for the cupola frescos of the Finnish Pavilion in Paris 1900
Sketch for the cupola frescos of the Finnish Pavilion in Paris 1900

1900年、パリ万国博覧会でフィンランド館のフレスコ画を描くなどして、金賞を1つと銀賞を2つ、受賞しました。そうして彼はフィンランドを代表する芸術家としての地位を確立しました。

国家としての歴史を奪われてきたフィンランドの人たちは、こうしてカレワラやカレリア地方に自分たちの出自や歴史=原風景を発見したのでしょう。

参考:地域研究コンソーシアム(大フィンランド〜:PDF)
画像はすべてWikimedia Commons