ラルス・ヤンソンのムーミン

ムーミン75周年を記念して、2020年9月からはじまった【ムーミン コミックス展】。誰からも愛されるキャラクターで根強い人気を誇る「ムーミン」ですから、いちばんゆっくり観れるのはきっとこの日しかないと、2022年1月1日土曜日に横浜のそごう美術館へ行ってきました。
会場入り口の案内文を読んでいると、あとから入ってきたご夫婦(60代くらい)のこんな会話が聞こえてきました。
「どうして大好きなのに来なかったの?」
「んー、混んでて入れなかったから」
ムーミンの小説が日本で最初に出版されたのが1964年、全集として原作8本(『小さなトロールと大きな洪水』を除いた)が揃ったのが1968年なので、まさに第1世代のムーミンファンなのかもしれません(ちなみにフィンランドのムーミン公式サイトでも今回の「ムーミンコミックス展」が取り上げられていました)。
*
ムーミン最初のコミック作品が登場するのは1947年。Ny Tid紙にて「ムーミン谷の彗星」を下書きにした『ムーミントロールと地球のおわり』の連載が開始されました。その後、小説の人気をうけて1954年に始まったイギリスのイブニング・ニューズ紙の連載は、1960年から作者トーベ・ヤンソンの弟ラルス・ヤンソンに引き継がれ、20年以上にわたって続きました。
ちょうど年末にトーベ・ヤンソンの評伝『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(ボエル・ヴェスティン著/畑中麻紀+森下圭子訳/フィルムアート社)を読み返していて、ラルス・ヤンソンのことがとても気になっていました。
ムーミンの生みの親としての自分と画家としての自分の間で葛藤していたトーベはコミックスの連載から手を引きます。新聞社との契約が残っていたとはいえ、もともとは姉の作品だったのにも関わらず、毎日アイデアを考え、描き続けるというのは並大抵の努力ではありません。ラルスが引き継いだ15年がなかったとしたら、きっと今のムーミンの人気もなかったのではないでしょうか。
ラルス・ヤンソンはどんな気持ちでムーミンを描き続けたのか。今回の展覧会でいちばん知りたかったのはそのことでした。
*
会場に入ってすぐ正面の壁一面にムーミンのおしりのパネルがたくさん並んでいます。第一話の最初のコマで登場したこのシーンは、それ以降コミックスでのお約束となりました。展覧会の導入には、トーベによって描かれた『ムーミン谷の彗星』などの挿絵の原画がいくつかとスケッチ。紙の切れ端に描かれたキャラクターを見ていると、映画『TOVE/トーベ』でそれらを組み合わせながら、ムーミンのストーリーを想像(創造)していたトーベの姿が目に浮かんでくるようでした。
ちなみにトーベはまず鉛筆で下書きをして、インクでなぞる方法で描いていました。スケッチはトーベがコミックスを描かなくなった1960年代のものが多かったようです。しかしこうして多くのスケッチや資料が残されていることは、トーベ・ヤンソンの几帳面さの表れともいえるのではないでしょうか。
*
展示の第1章は「トーベ・ヤンソンが描いたコミックス」。トーベはネーム(コマ割)の前にキャラクター設定のスケッチをワックスペーパーのような紙に描いていました。そこにはコミックスだけに登場するキャラクターたちが多く描かれていて、小説や絵本の世界とはまた違った感じを受けます。
ふきだしのセリフはトーベらの母語であるスウェーデン語でした。もちろんイギリスの新聞に掲載するため、英語のセリフがコマの下に書かれていました。これらはきっと英語が得意だったラルスの訳でしょう。
![]() |
フォトスポットの人形は、1950年代のストックマン・デパートに飾られていたもの |
1日の掲載は基本3,4コマなのですが、線の代わりに木や柱、カーテンでコマを区切るなど楽しい工夫が凝らされています。またキャラクターの動きや画面の切り取り方などイラストレーターとしてのトーベの実力や才能を感じます。小説の挿絵などに比べて背景の描写が少なく、コミックス用に描き分けているように感じました。
第2話の「ムーミン谷への遠い道のり」では、コマの中のセリフが少なくなり、欄外の文章もほぼ英語だけになります。ムーミンママのエプロンが新聞社のアイデアだったり、第3話「南の島へくりだそう」では当初予定していた「やっかいな冬」を季節感を考えて第5話へ後回しにしたりと、外部の意向も尊重しながらの執筆だったようです。
*
第14話目「タイムマシンでワイルドウエスト」(1957年)からはラルスとの共同制作となります(第18話はトーベ作:執筆は終えていたが掲載を前後したのかもしれない)。ラルスは主に筋書きを担当しました。またラルスはトーベが制作をやめると決まってからはじめて、ムーミンの描き方を学んだそうです。
共同制作の時期になるとトーベのキャラクター設定のスケッチがさらに充実してきます。いろいろな角度から見たキャラクター、風景や場所、部屋に小道具のスケッチなど、より具体的なイメージがわいてくるようなイラストです。きっとこれらは今後コミックスのすべてを任されるラルスのために描かれたのではないかと想像しました。
ラルス単独で制作したのは第22話「ムーミンと魔法のランプ」から。ラルスが最初に描いたムーミンも展覧会で見られたらよかったのになあと思いました(第22話はムーミンコミックス第12巻に掲載)。
*
そして展示の第2章は「ラルス・ヤンソンの描いたコミックス」。トーベとラルスの絵はやはり違う(個人的にはやはりトーベの絵が好み)のですが、簡潔さを求められるコミックスにはふさわしいものだったかもしれません。
当時ムーミンコミックスは20カ国以上の紙面を飾り、毎日2,000万人以上が読んでいたそうです。ラルスの娘ソフィア・ヤンソンも「幼い頃から10代前半まで父がムーミンコミックスを描くのを肩越しに眺めながら育ちました」というように、ムーミンコミックスはいつからかラルスの作品になっていたはずです。
現在ムーミンキャラクターズの会長であるソフィアは、トーベ・ヤンソンの残したものを受け継いだというよりも、もしかしたら父であるラルス・ヤンソンのムーミンを残したいと考えていたのかもしれません。
![]() |
ラルス・ヤンソンの視点で展覧会をみてみるとおもしろいかもしれません |
*
展示の最後はラルスが制作した最終話(第73話)「10個のブタの貯金箱」の原画でした。昨年12月最後のclubhouseで「なぜフィンランド人はブタが好きなのか?」という話題が上っていたのを思い出し、ハッとしました。最終話にブタの話を持ってきたラルス。やはりフィンランド人は・・・?
ラルス・ヤンソンにはまだ未邦訳のコミックスが、31話も残されています。いつかムーミンコミックスの完全版が出版される日を期待しています。できれば当時新聞に掲載された時系列だといいなぁと。
残念ながら今回の展覧会でラルス・ヤンソン自身の言葉にふれることはできませんでしたが、ヘルシンギン・サノマット紙によるラルス・ヤンソンついての記事から、ラルスの言葉を引用して終わります。
"Muumipeikko-sarjakuvan perusajatus on se, että ihmisten pitää olla ystävällisiä toisiaan kohtaan. Se voi kuulostaa hirveän lapselliselta, mutta niin se vain on." ── Helsingin Sanomat
「ムーミンコミックスで基本的な考え方は、人はおたがいに親切であるべきだというものです。とても幼稚に聞こえるかもしれませんが、まさにその通りなのです。」