届かなかった手紙

 ひと月ほど前、手紙を出した。

 普段は最寄りの小さな郵便局で投函するのだけど、買い物のついでにたまたま通りかかった隣町のポストに入れた。宛先は都内なので早くて1日、遅くても3日で届く。しかし今回は1週間たっても届かない。いったいどこへ行ってしまったのだろう。

 ふと考える。本当に自分はポストに手紙を入れたのだろうか? たしかに入れた、手が投函口のフタに押し戻される感覚を憶えている。切手は貼っただろうか? いや、貼り忘れていたら料金不足で戻ってくるはず。そもそもあれはポストだったのだろうか? もしかしたら……。

 それからほぼ1ヶ月。手紙はどこかへ消えてしまったらしい。

 そんな手紙がある一方で、宛先がわからなくても届く手紙がある。

 瀬戸内海のある小さな島の郵便局(実際は元郵便局)には、日本全国、いや世界中から宛先不明の手紙が届く。いまはどこにいるのかわからない人へ、過去や未来の自分へ、伝えたいけれど伝えられない想いを込めて。

 そこに届いた手紙は誰でも自由に読むことができる。知らない誰かが知らない誰かに出した手紙たち。数えきれないほどの手紙に囲まれてクラクラしてしまい、しばらく椅子に腰かけて古く懐かしい郵便局の様子を眺めていた。局長であるおじいさんはその郵便局に届いたすべての手紙に目を通していると言っていた。想いを受けとめてくれる人がここにいることで手紙を出した人たちは救われているに違いない。そうおもった。

 あの郵便局に届けられた無数の手紙を思い出すとき、届かなかった手紙にも意味があることがはっきりわかる。ペンで文字を書いて便箋やハガキに想いをとじこめる。たとえその手紙が相手に届かなかったとしても、その想いが相手に伝わらなかったとしても、永遠はきっとそこにある。

 自分はあの手紙にいったいなにを書いたのだろう。もうほとんど忘れてしまった。手紙は本当に消えてしまったのだろうか。どこか知らない郵便局へ届いているのだろうか。それとも何年後か、何十年後かに戻ってくるのだろうか。この世に届かなかった手紙はいったいどれだけあるのだろうか。

 手紙もその内容も今はもう目にすることはできないけれど、手紙を書いたときの想いは消えることはないだろう。だからただこう伝えよう。

 ひと月ほど前、手紙を出したよ。