モダン・ウーマン再び 〜 マイヤ・イソラ、ヴォッコ・ヌルメスニエミ

あらためまして、こんにちは。マイッカ灯台美術館管理人のHです。いえいえ館長だなんて滅相もありません、私はただの灯台守ですから。それに芸術のことなんて、いまも全くわからないのです ──

テキスタイル編の最後はマリメッコです。テキスタイルデザインを中心に衣料品から生活雑貨まで幅広い製品を展開しているのはご存知の通り。ここではマリメッコを創り上げた3人の女性についてご紹介します。

Marimekko

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1949年に夫ヴィリヨのPrintex社に入社したアルミ・ラティアは、会社の新製品のために友人のマイヤ・イソラへデザインの依頼をします。出来上がってきたイソラの素晴らしいデザインを活用するため、1951年、アルミらは新しい会社を興すことにしました。それがマリメッコ社です。

マリメッコは、そのカラフルなプリントと斬新なカッティング、それでいて実用的でタイムレスなデザインで一世を風靡します。それら多くはマイヤ・イソラとヴォッコ・ヌルメスニエミという二人の先進的なデザイナーによるものです。ちなみに社名は「マリのドレス」という意味です(mekkoはカレリア地方の方言)。 

マリメッコの名が1960年代のアメリカで広まったのは、米大統領選でジャクリーン・ケネディがマリメッコのドレスを愛用したことからだといわれています。その姿が雑誌の表紙を飾ることによって世界中でも注目されるようになりました。 

1970年代には設備の近代化やライセンス生産の拡大などで成長しましたが、1980年代頃になると低迷の時期を迎えます。しかしその後は、キルスティ・パーカネン、ミカ・イハムオティラ、ティーナ・アラフータ=カスコなど先見の明のある人たちによって運営され、その人気を不動のものとしています。

Armi Ratia, 1912-1979

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アルミ・ラティアは、テキスタイルアーティストであり、マリメッコを創設したフィンランドで最も有名な起業家の一人です。彼女の出身カレリア地方パルクヤルヴィは、現在ロシア領になっています。

ラティアは、芸術デザイン学校でテキスタイルデザインを学び、1935年から1939年までヴィープリに彼女自身の製織工場を持っていました。その後、広告代理店Erva-Latvala社のテキストデザイナーとして働き、1949年に夫が所有するPrintex社へ移りました。

1960年代初頭、ラティアはマリキラプロジェクトに熱を上げました。マリキラプロジェクトとは、ポルヴォーに工場や従業員の住まいを建設し、マリメッコの村を作るというものです。しかし、その計画はうまくいかず、マリメッコは経済的な苦境に立たされました。

Maija Sofia Isola, 1927-2001 

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マイヤ・イソラは、ヴォッコ・エスコリン=ヌルメスニエミと共にマリメッコを支えた二大デザイナーの一人です。リーヒマキで生まれた彼女はヘルシンキの中央美術工芸学校で絵画を学び、1949年、プリンテックス社のテキスタイルデザイナーに就任しました。

「ウニッコ」をはじめとする彼女の大胆でカラフルなデザインは、マリメッコの国際的な名声を確立しました。「ウニッコ」は、アルミ・ラティアの花柄が嫌いであるという発言を無視して、1964年にイソラがデザインしたもので、二人のコラボレーションはとても緊張感のあるものだったそうです。

マイヤ・イソラの40年に渡るマリメッコでのキャリアで生み出されたパターンは500以上にも及びます。また、彼女のテキスタイルの詳細なデータが記載された手書きのパターンブックは、彼女の引退後も数十年間に渡り、制作ガイドとしてマリメッコで使用されました。

Vuokko Eskolin-Nurmesniemi, 1930-

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ヴォッコ・エスコリン=ヌルメスニエミは、ヘルシンキ出身のテキスタイルデザイナー兼陶芸家です。芸術デザイン学校で陶芸を学び、1952年からアラビア芸術部門ヌータヤルヴィ社でガラス製品と陶器のデザインを担当しました。1957年にはミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞しています。

1953年にマリメッコ社に入社すると、彼女は「ヨカポイカ」シャツ (1957)をはじめ同社のテキスタイルを数多く手がけました。しかし1960年、アルミ・ラティアとの対立によりマリメッコを退社することになります。

1964年には自社のヴォッコ社を設立します。その同じ年のミラノ・トリエンナーレでは、夫のアンティ・ヌルメスニエミと一緒に手がけたフィンランドセクションのデザインがグランプリを獲得しました。彼女はそのほかにもカイ・フランク・デザイン賞(1997年)など、様々な賞を受賞しています。

さて、50回以上にわたってお届けしたマイッカ灯台美術館いかがでしたでしょうか。こうして最初の記事に戻るとは自分でも予想していませんでしたが、フィンランドが多くの女性たちに愛される秘密は、フィンランドのモダン・ウーマンたちの輝きにあったのかもしれません。読んでいただきまして、ありがとうございました。

カバー写真:marimekko.jp
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