弱さと愚かさと【レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う】
映画『名ものなき者』もたのしみなボブ・ディラン。その長い活動のなかでいちばん好きなのはローリング・サンダー・レヴュー期(1975〜76年)。たくさんの仲間をひきつれてライブツアーを行った。ロード、バンドワゴン、旅一座、刹那的でロマンティック。自伝を読むと実際はとてもたいへんだったみたいだけど。ともあれ、バンドという存在は、ロードムーヴィーを撮るには格好の対象だとおもう。
さて、レニングラード・カウボーイズは、実在するバンドなのか。もうそこからわからない。トサカ頭にサングラス、そろいの服装をしていることはなんとなく見たことがある。それならどうして彼らの映画二作目である【レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う】から観るのだろうか。そこにはある計画が‥‥。
前作でアメリカを訪れたらしいカウボーイたちは、のんきにメキシコで過ごしていた。そこへ悪徳マネージャーであるウラジミールの生まれかわりと称して、モーゼがやってくる。彼の命令により、バンドは目的もわからぬまま、故郷シベリアへ帰ることとなった。アメリカ → フランス → ドイツ → チェコ → ポーランド → ロシア。演奏などでお金を稼ぎながら、牧歌的ではあるけれど、どこか寂しげな風景のなかをバスは進む。
旧約聖書、ハムラビ法典、共産党宣言。声高に正しさを主張するマネージャーたちの言葉に、メンバーのひとりが「くだらねぇ」と吐き棄てる。そもそも宗教も思想も争うためにあるのだろうか。だれかにとっての善が、他のだれかにとっての悪になることを忘れてはいけない。その点、映画では敵と味方がゆるやかに入り交じるところがいい。カウリスマキ監督の映画から感じるのは、単純なやさしさなんかじゃない。人間の弱さや愚かさを認めるところからしか、なにもはじまらないということ。そう、目の前で困っているひとに、ただ手をさしのべるように。
最後に、レニングランド・カウボーイズについて。前作の映画に出演する前は、スリーピー・スリーパーズという名で活動していた彼ら。数枚、アルバムを聴いてみたけれど、いろんなジャンルの楽曲をすごく器用に演奏していて、なかなかの実力派だとおもう。なにより楽しい。ところで、マネージャーを演じていたのがマッティ・ペッロンパーだったことに、エンドロールではじめて気づいたことは内緒。