モダン・ウーマン 〜 フィンランド美術のはじまり
はじめまして、こんにちは。マイッカ灯台美術館管理人のHです。いえいえ館長だなんてとんでもありません、私はただの灯台守ですから。それに芸術のことなんて、これっぽっちもわからないのです ──
フィンランド美術を彩った女性芸術家たち
2019年の夏、東京・上野の国立西洋美術館で開催された【モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち】という展覧会を観にいく機会がありました。
フィンランドセンターの講義でとりあげられる芸術家も、女性がとても多い印象をうけました。それはフィンランドの美術が発展していく最初の時点から、性別関係なく美術を学ぶことができたからなのかもしれません(もちろん偏見などもあったようです)。
以下は、『モダン・ウーマン』展の資料からの引用です。
──19世紀後半から20世紀初頭のフィンランドでは、ロシアからの独立運動、そして1917年に誕生する新しい国家の形成と歩調を合わせて、社会における女性の立場や役割に大変革が起こりました。美術界においても、19世紀半ばに設立されたフィンランドで最初の美術学校は、当時のヨーロッパではめずらしく、創立当初から男女平等の美術教育を奨励しました。この時代の女性たちは、奨学金や留学のチャンスを掴み、国際的な環境で研鑽に励みながら、芸術家としてのキャリアを切り開くことができたのです。
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フィンランド美術協会とその絵画学校
フィンランドの近代美術のはじまりとして挙げられるのが、1846年にフィンランド美術協会(Suomen Taideyhdistys)が設立されたこと。当時のフィンランドには美術館や常設展といったものがなく、美術の正式な評価も行われていませんでした。協会設立の目的は、フィンランド芸術の基礎を築くことでしたが、国家として文化を確立させたいという側面もあったようです。
協会は作品制作や展覧会開催の費用として芸術家に奨学金を授与し、1848年にはプロの芸術家を養成するため、フィンランド最初の美術学校である「ヘルシンキ絵画学校|Helsingin piirustuskoulu」を開校しました(実際にはすでに数年前トゥルクで同様の学校が設立されていたそうです)。
芸術家を目指す多くの人々がその学校で学びましたが、同時にパリのアカデミー・コラロッシやアカデミー・ジュリアン、デュッセルドルフの美術アカデミーなど、海外へ留学する人々もいました。
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アテネウム美術館の建設
1851年、美術協会の後援者であったロシア皇帝アレクサンドルIII世より、美術品のコレクションが寄贈されます。しかしフィンランド国内には、これらの美術品を展示するための施設がありませんでした。1887年になってようやく建設されたのが、「Ateneum|現アテネウム美術館」です。アテネウムには、アレクサンドルIII世のコレクションを展示する美術館と美術協会の運営する素描学校が入りました。
『モダン・ウーマン』展は、おもにアテネウム美術館所蔵の作品で構成されていましたが、それらの作者である7名の芸術家たち(マリア・ヴィーク、ヘレン・シェルフベック、エレン・テスレフ、シグリッド・シャウマン、エルガ・セーセマン、シグリッド・アフ・フォルセルス、ヒルダ・フロディン)もみな、その素描学校の出身でした。
次回からは、その7名の女性について紹介していきます。