町の記憶 〜 ポルヴォー/ラウマ旧市街と木造建築

この灯台の上から見える町はいつまでその風景をとどめているでしょうか。ひとつ建物が消えた時、何が失われたのか気づいていなかったのかもしれません。まちの記憶が、そこで生きてきたひとの記憶だということも ──

Sodankylän vanha kirkko, 1689
Sodankylän vanha kirkko, 1689

フィンランドの旧市街と木造建築

中世フィンランドの町は石造りの教会や城を中心にして、その周辺に木造建築が建てられるような形で発展してきました。当時あったのは、トゥルク、ポルヴォー、ラウマ、ナーンタリ、ウルヴィラ、ヴィープリの6つの町です。

歴史家ヘンリク・リリウスによると、フィンランドの町は平均して30~40年ごとに火災で焼け落ちていたそうです。被害を受けた町はそのまま再建されるのではなく、新しい町並みへと生まれ変わっていきました。そのため現存する木造建築の町のほとんどは19世紀以降のものです。また新しい都市計画を実行する際、道路幅や防火設備に関しての規制がさらに厳しくなっていったため、中世からの市街図と同様の形を残しているのはポルヴォーだけになってしまいました。

ポルヴォー|Porvoo

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ヘルシンキから東へ約50kmの場所にあるポルヴォーは、トゥルクに次いでフィンランドで2番目に古い町です。ポルヴォーのシンボルである川沿いに並んだ赤い木造の建物は、外国から輸入された香辛料などを貯蔵するための倉庫でした。これらが赤い色に塗られたのは、スウェーデンのグスタフ三世に敬意を示すためだったそうです。

ラウマ旧市街|Vanha Rauma

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ラウマ旧市街は、フィンランド西部にある3番目に古い町です。ユネスコの世界遺産に登録されており、600軒ほどの建物に約800人が暮らしています。1640年と1684年の大火で焼失したため、現存する最古の家屋は18世紀のものです。その中でも注目の建物は、かつて水夫の家であったキルスティと大富豪の船主の家であったマレラです。現在は共に、旧市街の人々の暮らしを伝える博物館となっています。

伝統的な木造住宅

Pertinotsa / Antti farmstead
Pertinotsa / Antti farmstead

フィンランドの伝統的な木造住宅には、一般的に2つのタイプがありました。ひとつがフィンランド東部に見られたペルティノツァの様式。ロシアの影響を受け、1階を家畜の納屋や倉庫、上の階を家族の部屋にした住宅です。

もうひとつが中央の農場を囲むように丸太の建物が並ぶアンッティ農場のような住宅です。フィンランド西部に多く、スウェーデンの影響を受けています。これらはセウラサーリ野外博物館で観ることができます。

Kota
Kota

ちなみに、フィンランドの木造建築で最も古い住居構造として知られているのが、コタ(またはゴアハティ)と呼ばれる、布、泥炭、コケ、木材で覆われた小屋です。コタは19世紀までフィンランド全土で使用されており、ラップランドのサーミの中には現在でも住居として使っている人々がいるそうです。

ヴォユリ木造教会

その後、教会の建築がフィンランドの木造建築をより洗練されたものに発展させていきます。ただしそれらは建築家による設計ではなく、実際に建てる名工による設計でした。

Vöyrin puukirkko, 1626
Vöyrin puukirkko, 1626

1626年に完成したヴォユリ木造教会は、フィンランドに現存する最も古い木造建築です。 1777年には十字架教会に拡張されました。1137〜1400年頃にドイツのリューベックの町で造られた十字架が有名で、15世紀後半に作られた祭壇のキャビネットなども観ることができます。

ソダンキュラ旧教会

ソダンキュラ教会は、ラップランドに建てられた教会です。古い木造建築は改修・拡張されているものが多いですが、本来はこの教会のような素朴な造りでした。

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この古い教会は、1859年に新しい教会ができたことにより使用されなくなりました。その後ひどく荒廃していましたが、1920年代に修復作業が始まり、できるだけオリジナルに忠実な形で再建されました。

参考:Visit Finland
表記のない画像はすべてWikimedia Commons