ふたりのみる夢【パラダイスの夕暮れ】
1986年に公開された【パラダイスの夕暮れ】は、アキ・カウリスマキ監督による「労働者三部作」の第一作目であるといわれている(【真夜中の虹】、【マッチ工場の少女】とつづく)。とはいえ、このあともずっと労働者や市井の人の暮らしを描きつづけることになるのだから、「労働者十二部作」とかでいいような、笑。けれど、それまでのフィンランド映画では、労働者を主役にした作品はまずなかったという。
カウリスマキ映画ではときどき突然の暴力が発動する。たとえば、主人公が暴漢に襲われるシーンがいくつか記憶に残っている。しかし、そうした行動や彼らの罪に対して、映画のなかで説明することはない。その怒りの本当の矛先は、フィンランドの社会や政治に向けられたものなのだとおもう。
いったい映画とはなんのために存在するのだろう。はたして夢を見るために映画を観るのだろうか、それとも現実を見るために映画を観るのだろうか。それはこんなふうにいいかえられるかもしれない。どこかにあるだろう楽園をめざすのか、いまここにあるだろう楽園を見つけだすのか。
ゴミ収集車の仕事をする内気なニカンデル(マッティ・ペッロンパー)とスーパーで働く気分屋のイロナ(カティ・オウティネン)は、出会ってはじめてのデートからつまづく。まるで月と太陽のようなふたり。なかなかかみ合わず、行きつ戻りつをくりかえす。(もしふたりのコンビで【浮き雲】が撮られていたらと‥‥。いや、あれでいいんだ、きっと)
どちらも相手に自分の理想とする行動や言葉を期待しすぎて、異なる性格や考えをもったひとりの人間であることをつい忘れてしまう。相手に対して強く当たるのは、自分の情けなさや至らなさに対する苛立ちからであるにちがいない。しあわせやよろこび、そこにある奇跡を自分自身で見えなくする。
映画のクライマックスでは、【カラマリ・ユニオン】を思い出して、だれもがニヤリとしてしまうだろう。昼と夜が出会う夕暮れどき、そこが楽園であることをしめす影がいつも足もとに伸びていたことに、ふたりはまだ気づいていない。いつか気づいてくれたらいいなとおもう。つまり、ひとりで観る映画はつまらない。ふたりで観るからこそ、夢も現実も見ることができるんだってこと。
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パラダイスの夕暮れ|Varjoja paratiisissa(1986)
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
編集:ライヤ・タルヴィオ
出演:マッティ・ペッロンパー、カティ・オウティネン、サカリ・クオスマネン、エスコ・ニッカリ、ほか