スウェーデンとロシアのあいだ 〜 世界遺産とマナーハウス

倉庫の整理をしていたら設計図が出てきました。この灯台は半世紀以上前に建てられたようです。ちょっとした歴史を感じますね。ですが、いちばん驚いたのは設計士として祖父のサインがあったことです ──

フィンランドには、ユネスコ世界遺産が7つあります。一つは前回ご紹介したラウマ旧市街。そして、サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚群、ヴェルラ砕木板紙工場、シュトリューヴェの測地弧、クヴァルケン群島、さらに今回ご紹介するペタヤヴェシ木造教会スオメンリンナ要塞です。

ペタヤヴェシ木造教会

Petäjäveden vanha kirkko, 1763-65
Petäjäveden vanha kirkko, 1763-65

フィンランド中西部の町ペタヤヴェシにある古い教会は、スウェーデンによる指示や許可などを待たずに、地元の名工ヤーッコ・レッパネンによって建設された教会です。鐘楼とそれをつなぐ通路は、1821年にレッパネンの孫であるエルッキ・レッパネンによって建てられました。

丸太を組んで造られた教会はスカンジナビア東部に伝わる典型的な建築であり、十字形の土台の中央を中心にして設計するルネッサンス様式と丸天井のゴシック様式が組み合わされています。また屋根にはこの建築に携わった大工たちのイニシャルが刻まれているそうです。

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1879年、湖の対岸に新しい教会が建設されると、この古い教会は使用されなくなりましたが、鐘楼と墓地は1920年代まで使われ続けました。教会の外観は当時とほとんど変わっておらず、現在でも洗礼や結婚式、夏の日曜礼拝などに利用されています。スカンジナビア半島の多くの教会と同じく冬の間でも通えるように湖のそばに建てられました。1997年にはかつて信者たちが使っていたような船が作られ、観光用のアトラクションとなっています。

こうした教会建築は美術史家の研究材料でしたが、日本の建築家でフィンランドで学んだ竹内晧氏が木造教会として着目したことで、学問の領域として認められるようになりました。竹内さんはフィンランドの木造教会』という本も出版されています。

スオメンリンナ要塞

Suomenlinna, 1748
Suomenlinna, 1748

スオメンリンナは、ヘルシンキの南東約4kmのところにある8つの島に築かれた海上要塞です。元々はスヴェアボーグ(スウェーデンの城)またはヴィアポリと呼ばれていましたが、1918年にスオメンリンナ(フィンランドの城)に改名されました。

1748年、スウェーデン王室はロシア帝国に対抗するため、要塞の建設に着手します。総責任者はスウェーデン軍元帥で建築家のアウグスティン・エーレンスヴァルドです。イタリア式の星形要塞を手本としました。

英国式庭園に小さなパビリオン、指揮官の部屋はバロック様式、広場はパリのヴァンドームのように、など様々なアイデアがありましたが、計画通りには進みませんでした。1750年には6,000人、1755年には7,000人が建設に従事し、要塞の完成まで10年を要しました。

Kuninkaanportti
Kuninkaanportti

王の門(Kuninkaanportti)と呼ばれる要塞への入口は、当時影響力のあったスウェーデンの建築家カール・ホーレマンによる設計です。1752年にスウェーデン王アドルフ・フレデリックが建設現場を視察に訪れた際、彼が足を踏み入れた場所を門にしたところから名づけられました。1809年、スオメンリンナはロシア軍に占領され、1918年にフィンランドが独立するまで、ロシアが要塞を保持することとなります。

フィンランドのマナーハウス

フィンランドの城は軍事目的で建設されることが多かったため、他のヨーロッパの城に比べとても控えめな外観をしています。それと同様にマナーハウスも質素で規模が小さいものでした。またこれらのマナーハウスの荘園主は税制上の優遇も受けていました。

Kankaisten kartano / Vuorentaan kartano
Kankaisten kartano / Vuorentaan kartano

カンカイネン・マナーは、フィンランドのマスクの町にある中世後期の荘園で、町の中心部から南に1キロほどの小さな川沿いに位置しています。荘園自体は1410年代に設立されたと考えられていますが、1756年に荒廃していた建物をトゥルク王立アカデミーの教授ニルス・ハッセルボムが購入し、1762年から1763年にかけてアウグスティン・エーレンスヴァルドの設計で改修が行われました。改修の際、廃墟となっていた3階部分が取り除かれ、対称性を保つために窓の位置が調整されました。また、中央から外れた正面玄関の対称性を保つために、偽の第二の扉が追加されました。

ヴオレンタカ・マナーは、フィンランド南西部ハリッコのハリコンヨキ川の河口近くにあるフィンランドで最も古い石造りのマナーハウスです。15世紀後半から16世紀頃に建てられたこの荘園は、18世紀後半に住む人がいなくなり、1802年から穀倉として利用されていました。その後1850年代にアームフェルト家が購入、本館を復元し、赤煉瓦のゴシック様式の外観へとその姿を変えました。

Louhisaaren kartano / Suur-Sarvilahden kartano
Louhisaaren kartano / Suur-Sarvilahden kartano

ロウヒサーリ・マナーは、マスクの町にある歴史的なバロック様式の荘園です。軍事指導者で第6代フィンランド大統領のカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムの生家であり、幼少期を過ごした場所でもあります。この邸宅は、1655年にフィンランドの提督兼総督であったヘルマン・フレミングによって建設され、設計もフレミング本人だといわれています。1965年にフィンランド政府に寄贈され、現在は博物館として利用されています。

スール=サルヴィラハティ・マナーは、ヘルシンキの東90kmロヴィーサにあるオランダ古典主義様式の荘園です。敷地には1930年代に造られたバロック様式の庭園があります。ロヴィーサという町の名は、スウェーデン王アドルフ・フレドリクの王妃ロヴィーサ・ウルリカにちなんで名づけられました。1672年、スウェーデンの提督ローレンツ・クロイツが3階建ての本館の建設に着手し、1683年にようやく完成しました。その後、邸宅を所有した政治家エルンスト・フォン・ボルンの意志により、現在はスウェーデン文学協会が所有しています。

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