運命の出会い 〜 タピオ・ヴィルッカラ
流れ星を見ました。灯台のまわりには何もないので絶好の場所といえるでしょう。もちろん夜空を見上げないと流れ星と出会うことはできません。ですが、その流れ星をどこか別の場所で見ていた誰かとは、夜空を通じて出会っているような気がします。不思議ですね ──
Tapio Veli Ilmari Wirkkala, 1915-1985
タピオ・ヴィルッカラは、ガラス、テーブルウェア、家具や照明、彫刻や空間デザイン、フィンランド紙幣や切手など、様々な分野のデザインを手がけたフィンランドデザインの第一人者です。1960年代までのフィンランドデザインの黄金時代は「ヴィルッカラ時代」とも呼ばれています。
1915 フィンランド南部の港湾都市ハンコで生まれる。
1933 中央美術工芸学校で彫刻を学ぶ。
1946 イッタラのデザインコンペで優勝。
1951 ミラノ・トリエンナーレの三部門で金メダル。母校で教鞭を執る。
1960 イッタラのアートディレクターに就任。
1967 モントリオール万博で彫刻作品『Ultima Thule』を発表。
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彫刻との出会い
幼い頃から絵が得意だったヴィルッカラは、1933年から中央美術工芸学校で彫刻を学びます。学生時代の仲間には家具デザイナーのイルマリ・タピオヴァーラ、テキスタイルデザイナーのアルミ・ラティア、陶芸家のビルゲル・カイピアイネンらがいました。この彫刻家としてのスタートがあったからこそ、自然のモチーフを活かした繊細なデザインの数々を生み出すことができたのではないでしょうか。
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Puukko(©️EMMA) |
ハックマン社で製造されたヴィルッカラのデザインによるサーミの彫刻用ナイフ。彼自身もこのナイフを用いて多くのデザインを行いました。教師となったヴィルッカラは「道具を大切にすること」をまず生徒たちに説いたそうです。職人気質のヴィルッカラらしいエピソードです。
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イッタラとの出会い
1946年、イッタラ主催のコンペティションで一等を受賞したところから、イッタラ社との生涯にわたる関係が始まります。ヴィルッカラはデザイナーとして400以上のガラスデザインを手がけながら、1954年にはイッタラのアートディレクターとなり、その世界的な名声を確立させました。
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Kantarelli (©️Iittala) |
アンズ茸をモチーフとした「カンタレッリ」は戦後デザインのシンボルとなりました。「ウルティマ・ツーレ」や「タピオ」シリーズは、現在でもイッタラで製造されています。
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世界との出会い
またイタリアのデザイン雑誌『domus』で取り上げられるなどして、ヴィルッカラは世界からも注目を集めていきます。そんな中、彼を一躍有名にしたのが1951年のミラノ・トリエンナーレ。ここで彼はガラス、木材、会場構成の3部問でグランプリを獲得しました。
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Lehti (©️EMMA) |
1951年に制作された「レフティ|葉っぱ」は、飛行機用合板による最初の作品。同年アメリカの雑誌『House Beautiful』の「今年最も美しいオブジェ」に選ばれました。
1950年代後半にはレイモンド・ローウィやA.アールストロームの事務所でデザインを担当しました。そのほかスミソニアン博物館など海外でも展覧会を開催し、世界各国で多くの賞を受賞しています。
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Lehti (Bukowskis) |
ガラスの「Lehti」はイッタラのためにデザインされました。1953年の雑誌『Interiors』の中でヴィルッカラは「木とガラスの詩人」と紹介されています。
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ラップランドとの出会い
そして1959年、ヴィルッカラはフィンランドの大自然の中に平和と静寂を求め、ラップランドのイナリに夏の家を購入します。あまりにも人里から離れた場所にあったため、試作品をヘリコプターで運ぶということもあったそうです。彼にとってラップランドは、多くのデザインやオブジェのインスピレーションの源でもありました。
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Paadarin jää (Homo Faber) |
1960年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞した「Paadarin jää|パーダルの氷」。彼はラップランドの自然や暮らしの中にフィンランドのルーツを見ていたのかもしれません。
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Ultima Thule relief (©️EMMA) |
ヴィルッカラのガラスの中で最も有名なのは「ウルティマ・ツーレ|極北」でしょう。ですがそれより前に同じ名で制作された作品があります。ラップランドのレンメンヨキ渓谷をモチーフにしたこの木製レリーフ(全長9m)は、1967年のモントリオール万博のために制作されました。
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ルート・ブリュックとの出会い
1945年、ヴィルッカラはルート・ブリュックと結婚します。二人は影響を与え合いながら数多くの作品を作り続けました。
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Campanile (©️EMMA) |
「カンパニレ|鐘楼」は、1951年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞した作品です。どこかルート・ブリュックの世界観と通じるようなデザインではないでしょうか。
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Winterreise (Bukowskis) |
ドイツの食器メーカー、ローゼンタールのためにデザインされた「冬の旅」というシリーズ。ルート・ブリュックとの共作です。
ふたりから息子サミと娘マーリアに残された多くの作品は、T.ヴィルッカラ/R.ブリュック財団へと寄贈され、エスポー近代美術館のAukio(広場、空き地の意)というスペースで常時一般公開されています。ぜひ一度訪れてみたい場所です。