最古のフィンランド建築 〜 トゥルク城、トゥルク大聖堂

灯台の改修にすこし時間がかかってしまいました、マイッカ灯台美術館です。さて、今回からはフィンランドの美術【建築編】をお届けします。とはいえ、建築を展示することなんてできるのでしょうか? まあ、なんとかなるでしょう。かたいことはいいっこなしです ──


統治時代と石造建築

フィンランドには長い間、隣国のスウェーデンロシアに統治されてきた歴史があります。そのため、建築においてもこの2国の影響を強く受けてきました。そして19世紀に入るとイタリアやドイツなどからやって来た外国人建築家がフィンランド国内で活躍するようになります。

その後、フィンランドからもエリエル・サーリネンアルヴァ・アアルトといった才能豊かな建築家が生まれたことで、今度はフィンランドの建築が国際的な影響力を持つようになったことはご存知の通りです。

国土の70%以上が森であるフィンランドでは、木材が主な建築資材として使用されてきたため、19世紀以前の古い建物はそれほど残されていません。現存している最も古い建築は石造りによるもので、そのほとんどが中世の城塞や教会です。

トゥルク城

13世紀後半、スウェーデン王室はフィンランド全土に防衛と行政の拠点をつくるため、6つの重要な城を建設しました。オーランド諸島のカステルホルム城、南西海岸のラーセポリ城、南東海岸沖のヴィボルグ城、内陸のハメ城とオラヴィ城、そしてフィンランドに現存する最古の城であるトゥルク城です。このうちヴィボルグ城ハメ城トゥルク城の3つを、フィンランドの三大城と呼んでいます。

Turun linna
Turun linna, 1280s

トゥルクはフィンランド最古の都市であり、当時の首都でした。トゥルク城の建設は1280年頃からはじまり、14世紀の初めには40以上の部屋を持つ北欧最大級の城となりました。1881年にはトゥルク歴史博物館が設立されましたが、1941年のソビエトの空襲によりひどく損傷を受け、大規模な修復を行わなければなりませんでした。また現在も歴史博物館として一般公開されています。

ヴィボルグ城聖

トゥルク城と共に戦略的に重要だったのがヴィボルグ城です。ヴィボルグ(=ヴィープリ)は現在ロシア領となっていますが、当時のスウェーデン王国にとってはカレリア地方の一大拠点でした。また第2次大戦前はフィンランド第2の都市でもありました。

Viipurin linna, 1293
Viipurin linna, 1293

ヴィボルグ城の建設は、カレリア地方への北方十字軍を指揮したスウェーデンのトーケル・クヌットソンの命により、1293年に開始されました。ちなみにヴィボルグ城のある場所は、スウェーデンの侵攻以前までカレリア人の交易所と倉庫として利用されていたそうです。現在は州立博物館となっています。

オラフ教会

オーランド諸島のヨマラにある聖オラフ教会(ヨマラ教会)は、フィンランドで最も古い石造教会だといわれています。1260年から80年代にかけて建設されました。

Jomalan kirkko, 1260s~80s
Jomalan kirkko, 1260s~80s

フィンランド唯一の本格的なロマネスク様式の教会ですが、ゴシック様式の部分もあります。また発掘調査でフィンランド最古のステンドグラス絵画が見つかっています。

トゥルク大聖堂

トゥルク大聖堂は、フィンランドで最も重要な歴史的建造物のひとつであり、フィンランド唯一の中世の聖堂です。建設には長い期間を要したため、ロマネスク様式、ゴシック様式、新ゴシック様式など、いくつかの異なる様式が混在しています。

Turun tuomiokirkko, 1300s
Turun tuomiokirkko, 1300s

トゥルク大聖堂の建設に関しては情報がほとんどなく、13世紀後半に木造の教会として建てられたと考えられています。14世紀から15世紀にかけて主に花崗岩を建材として使用し、大幅に拡張されました。1827年のトゥルク大火で大きな被害を受けましたが、その後大規模な再建工事が行われました。

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