芸術家の村 〜 トゥースラ湖、オーランド諸島

灯台にたった一人で暮らすのは寂しくありませんかと質問されることがあります。そうですねえ、きっと芸術家の皆さんも作品をつくっているときには孤独ですよね。きっと寂しさなんて感じている暇もないでしょう? ええ、そうです。この灯台美術館は私の作品ってことです ──

Evening Sun, 1901
Evening Sun, 1901 by Victor Westerholm

マリア・ヴィークやヘレン・シャルフベックの回で、セント・アイヴスやポン=タヴァンといったアーティスト村の話が出てきましたが、フィンランド国内にも様々な芸術家たちが集まってきた場所がありました。ここで紹介するのは、トゥースラ湖アーティスト・コミュニティ、イニンゲビー・アーティスト・コロニー、そしてナシ湖周辺ルオヴェシの3つです。

Tuusulanjärven taiteilijayhteisö

まず最初は、トゥースラ湖アーティスト・コミュニティ。ヘルシンキの街から電車で30分ほどというアクセスの良さと、自然豊かなフィンランドの原風景を求めて、19世紀末から20世紀初頭、多くの芸術家たちがトゥースラ湖東岸へと移り住むようになりました。

このコミュニティの中心メンバーは、作家のユハニ・アホ、画家のエーロ・ヤルネフェルト、ペッカ・ハロネン、詩人のユハナ・ヘイッキ・エルッコ、作曲家のジャン・シベリウスなどです。

Ahola, 1897
Ahola, 1897

アホラはユハニ・アホの邸宅。写実主義の小説家、ジャーナリストである彼が最初にトゥースラ湖で別荘を借りたことから周辺のコミュニティが生まれたといわれています。劇作家アレクシス・キヴィの影響を受けて、処女作『鉄道』を著しました。また『白い花びら』は1990年にアキ・カウリスマキにより映画化されています。現在、アホラ博物館となっています。

Suviranta, 1901
Suviranta, 1901

スビランタは画家エーロ・ヤルネフェルトの家。妹のアイノはシベリウスの妻です。また彼の母エリサベト・ヤルネフェルトは、ユハニ・アホの親友であり、ヘルシンキで文学サロンを主宰し、スウェーデン語がリードしていた上流階級にフィンランド語を広めようとした最初のフィランド作家でした。そうした活動や子どもたちの活躍から「フィンランド芸術文化の母」と呼ばれています。

Halosenniemi, 1902
Halosenniemi, 1902

ハロセンニエミは、風景画家として有名なペッカ・ハロネンの家です。現在はハロセンニエミ美術館となっており、今回、講義をしてくれたフィンランドセンターの所長も毎年訪れるお気に入りの場所だそうです。

Erkkola, 1902
Erkkola, 1902

詩人ユハナ・ヘイッキ・エルッコ邸。彼は元教師であり、ヴィボルグで新聞を発行したり、市議会議員なども務めました。当時独立を目指していたフィンランドで、スウェーデン語ではなく、フィンランド語を公用語にしようという国民運動(Fennomania)を支持していました。この家はペッカ・ハロネンによって設計され、エルッコの要望で最晩年のアレクシス・キヴィの家のそばに建てられました。

Ainola, 1904
Ainola, 1904

アイノラは、ジャン・シベリウスとその妻アイノの邸宅です。設計段階でシベリウスはトゥースラ湖の眺めと緑色の暖炉を望んだそうです。またシベリウスの存命中は作曲の邪魔にならないように水道がなかったそうです。現在は博物館として一般公開されています。

Önningebyn taiteilijasiirtokunta

次に紹介するのはイニンゲビー・アーティスト・コロニーです。1885年に風景画家のヴィクトル・ヴェステルホルムがオーランド諸島へ移住してきたことから始まりました。

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このコロニーには、多くの女性アーティストが参加し、フィランド人だけでなく、スウェーデンやエストニアの芸術家たちもやってきました。印象派の影響を強く受けており、野外で村の風景などを制作しました。彼らは、フィンランドの人々にとっての原風景でもあるカレリア地方へのまなざしと同じようなものを、このオーランド諸島の森や空、地平線の広がる景色に見ていたそうです。

Landscape from Åland, 1896
Landscape from Åland, 1896

Victor Westerholm, 1860-1919

ヴィクトル・ヴェステルホルムの才能は早い段階で注目を集め、1869年から1878年までトゥルク絵画学校(1830年頃に始まり、1852年からフィンランド芸術協会が運営)で学びました。その後、デュッセルドルフ芸術アカデミーやパリのアカデミー・ジュリアンへ留学しています。

コロニーが徐々に解散していく頃には、彼はトゥルク絵画学校で教鞭をとり、トゥルク美術館の館長を務めるようになっていました。現在、イニンゲビー美術館では、ヴェステルホルムをはじめアーティスト・コロニーのメンバーらの作品を見ることができます。

Önningebymuseet
Önningebymuseet

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