天使のまなざし【 ル・アーヴルの靴みがき】

「わずかな望みもない?」
「奇跡が起こるかも」
「近所じゃ起きてないわ」
フランス北西部の港町ル・アーヴルを舞台とする2011年の作品。港湾三部作(のちに難民三部作に変更)の一作目として構想されたという。現時点での最新作【枯れ葉】(2023年)が、それまでの作品のオマージュを散りばめた総集編、もしくはボーナストラックのような映画だとおもっていたのだけれど、オールスターキャストのような本作で、すでにその目的をはたそうとしていたようだ。
主人公は【ラヴィ・ド・ボエーム】(1991年)で作家を目指していたマルセル。演じるのは同じくアンドレ・ウィルムス。これまで観てきた俳優たちの顔にはみな、深いしわが刻まれ、20年という時の流れを感じる。また社会問題に対して直接的には表現してこなかったカウリスマキ監督にも変化がある。かならずやってくる終わりに、いったいなにが残せるだろう。
ふと、エリナ・サロ(酒場のオーナー役)の空気感ってやっぱりいいなとおもう。もしかするとカウリスマキ映画に出演する俳優のなかでいちばん好きかもしれない。どの作品でも彼女があらわれると、その場面に落ち着きがもたらされる。安心感。
妻アルレッティ(カティ・オウティネン)を病院へ送りとどけた帰り道、港に停泊する船に書かれた「Sillampää」の文字。どうしたってフランス・エーミル・シッランパーの小説『若く逝きしもの』を思い出し、アルレッティの病状が心配になる。けれども映画を観ながら感じていたのは、不思議なことに「未来」だった。それを象徴するのが、ル・アーヴルの人々がかくまう難民の少年、イドリッサの存在。その彼のまなざし。
靴磨きを手伝うイドリッサにマルセルはいう、「靴磨きと羊飼いこそ人々に近いんだ」。 駅をゆく無数の足もとを見つめつづける靴磨きたち。それはアキ・カウリスマキの見つめつづけてきたものでもある。そういえば、4月に逝去されたフランシスコ教皇の十字架には羊飼いが描かれていたそうだ。
映画の終わり、一輪の黄色いバラを手に、妻の病室へとむかうマルセル。今度は【ラヴィ・ド・ボエーム】の結末がフラッシュバックする。はたして奇跡は起こるのだろうか。そこでぼくらは少年が天使であったことを知る。
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ル・アーヴルの靴みがき|Le Havre(2011)
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
編集:ティモ・リンナサロ
出演:アンドレ・ウィルムス、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル、ほか