イメージと感覚〜Tapio Wirkkalaの手
2025年4月、フィンランドのデザイナー/アーティスト、タピオ・ヴィルッカラの日本初となる回顧展【タピオ・ヴィルカラ 世界の果て】が開催された。ここでは、個人的な備忘録を残しておきたい。
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フィンランド・デザインでいちばん好きなデザイナーは? と質問されたら、タピオ・ヴィルッカラとこたえる。使いやすさ、シンプルな美しさ、デザインとしての完成度ならば、カイ・フランクがもっとも優れたデザイナーなのかもしれない。けれど、自然の造形を再構築するような意外性や驚き(センス・オブ・ワンダー!)では、やはりヴィルッカラ。もしかすると、デザインにおいて、それらはムダなものなのだろうか。でも自然というものは、だれかの計算でできているものではなく、たとえムダだとしてもただそうなっている。そうであることを許されている存在だとおもう。
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── ルート・ブリュックの話をするときには、タピオ・ヴィルッカラの話をせずにはいられませんし、タピオ・ヴィッルカラの話をするときには、ルート・ブリュックの話をせずにはいられません。今回の展覧会をごらんになれば、そのことがよくおわかりいただけるとおもいます
ヴィルッカラとブリュックの孫で、TWRB財団事務局長のペトラ・ヴィルッカラさんからオープニングのあいさつがあった。2025年はタピオ・ヴィルッカラ生誕110周年。木のブロックが積み重ねられたアトリエの扉をひらいて、祖父に会いに行った幼い頃のことを思い出して、感極まるようすがとても印象的だった。
展示をじっくりみる余裕もなく、人が写りこまないように、とにかく会場をかけまわって写真を撮った。足がとまったのは、女性の姿が描かれたいくつかのパネルとエメラルドグリーンのガラス板のオブジェ。それらはまるでルート・ブリュックの作品のようだったから。ペトラさんのいうようにヴィルッカラの展示品をみながら、いつもブリュックの影を探していた。プライウッドのアート作品もブリュックの後期タイル作品とおなじ宇宙にあるように感じた。「ウルティマ・トゥーレ|Ultima thule」の巨大な木製レリーフは、ブリュックにとっての「ヤーヴィルタ|Jäävirta」だとおもう。
ちなみに会場にはブリュックのテキスタイル「Seita」も展示されていた。彼らのサマーコテージの窓辺にかかっているスライド写真を見たとき、ようやくわかったような気がした。影絵といったらよいのか、光絵といったらよいのか。窓から射しこむ極北の強い夏の光を通して、色とりどりに輝く「Seita」は、あの場所ならではの、あの色を見せるための、テキスタイルだったのかと。フィンランドでいちばん好きなアーティストは? と聞かれたら、ルート・ブリュックとこたえる。
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エスポー近代美術館|EMMAの学芸員、アウラ・ヴィルクナさんの解説で心に残ったのは、ヴィルッカラのデザインやその功績について「数値化することはできない」ということば。さらに「国境や海を越えて、このデザイナーのインスピレーションが、今にち、そして未来へと広がっていく」でしょう、と。それはやはり記録ではなく、記憶に残るということ。
ヴィルッカラのデザインのうち、いちばん小さなものは切手。そして、いちばん大きなものは景観デザイン。パネル展示されていたサイヴァーラ山地の記念碑案だ。その場所は、フィンランド・スウェーデン・ノルウェー三国の国境がまじわるキルピスヤルヴィの近く。実現していたらおもしろかったのになとおもう(10年ほど前、再現プロジェクトがあったらしい)。
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展示を観た翌日、マーリア・ヴィルッカラ × 皆川明トークイベント【タピオ・ヴィルカラ 作品と思い出】へ。内覧会ではいい写真を撮らなければと気負っていたのか、展示内容に期待しすぎていたのかわからないけれど、どこか心のこりがあった。マーリアさんの言葉から、なにか別の視点がみつかるといいなとおもっていた。
父タピオの思い出を語るそのまえに、おもむろにポケットからブロンズ製の小鳥をとりだしたマーリアさん。「これはメールやSNSのメッセージではなく、手渡しのメッセージです。会場にいるみなさんひとりひとりのメッセージも受けとります」と、いちばん前の席に座っていた皆川さんから順番に、手から手へと小鳥が渡っていった。
そこにあるメッセージとはいったいどんなものなのだろう。そしてどんなメッセージを伝えられるだろう。自分が受けとったのは、手に感じるその重み、タピオ・ヴィルッカラのあの大きな手だった。手のなかに木片を包みこんで、ナイフで削る。彼の風貌とあいまって、まるでクマみたいな手。
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一方、皆川さんは、「タピオがデザインをするとき、何十枚も何百枚もドローイングを重ねていたのは、物としての美しさを探しているというだけでなく、なにか自分の心や記憶との接点を探っていくようなプロセスだったのではないか」という。あのごつごつとした手から、どうしたらあんな繊細な線がでてくるのだろうとずっと不思議におもっていた。
そこで、ほんのすこしでもタピオ・ヴィルッカラに近づいてみようと、ナイフで小鳥を彫ってみることにした。写真をみながらイメージをふくらませて、木片に鉛筆で線を引く。木質がかたいのか、ナイフの切れ味がわるいのか、なかなか削れない。すこしずつ、すこしずつ、慎重に小鳥のかたちを探していく。写真をみているのにどうしてもヴィルッカラのかたちにならない。途中からあきらめて自分のかたちをみつけることにした。けれど、それがどこまでいったら完成なのかはわからない。自分が決めなければならないのだと知った。
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また、「プライウッド(積層合板)は工業製品の賜物ではあるが、それをアートにもう一度呼び戻したところにタピオのクリエイションの素晴らしさがある」と皆川さん。そのとき思い出していたのは、デザイナー/彫刻家の五十嵐威暢さんの言葉。
── 北欧のデザインはプロダクトやインテリアなど、自分たちの手でつくり上げていくクラフトが中心の世界ですから(『はじまりは、いつも楽しい デザイナー・彫刻家 五十嵐威暢のつくる日々』より)
デザインとアートをつなぐのは、その「手」だ。アラビア製陶所にデザイン部門と美術部門があったように、それら両輪の存在がフィンランド・デザインの特徴だと考えていたけれど、そこには「手」の存在があったのか。この「手」こそが、鍵だったのか。
プライウッド作品についてマーリアさんは、「父は、木板をどう重ねて、どう削ったら、どういうかたちになるのかわかっていた。なぜそんなことがわかるのか理解できない」といっていた。イメージと感覚。それは頭だけでなく、彼の手が知っていたからだとおもう。
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小鳥を彫ってから、もう一週間以上たっているというのに、まだ左手の親指がすこし痺れている。タピオ・ヴィルッカラには、まだまだ遠い。