かなしみの果て【白い花びら】

しあわせになりたい。だれもがそうおもう。でも、見わたすかぎりの花畑と荒野に咲く一輪の花、そのどちらにしあわせを感じるのかは人それぞれ。そして、しあわせはこわい。いまよりほんのすこし、いまよりもうすこし、いまよりもっと‥‥
アキ・カウリスマキ監督による無声映画【白い花びら】は、1999年に公開された。フィンランドの代表的な作家ユハニ・アホが、1911年に出版した『ユハ|Juha』を原作としている。これまでにも何度か映画化され、オペラとしても上演されているそうだ。暗く、悲しく、救われない物語。こうして綴ろうとする手もなかなか進まない。
この映画からなにを受けとればいいのだろう。夢、希望、願い、祈り、それらはすべて欲望にすぎないのだろうか。愛、平和、しあわせ、よろこび、それらは幻想にすぎないのだろうか。登場人物たちはみな、あと戻りのできない道へと足を踏みいれていく。カウリスマキ監督は教訓めいたメッセージを込めるのでもなく、ただ目の前にある物語の現実を提示する。
無声映画からトーキーへと移行するなかで、「本当のドラマというものは、色あせてしまった」と、カウリスマキ監督はいう。それは、声や言葉で表現できないからこそ、研ぎ澄まされていた演技や演出、そして映像があったということだとおもう。その流れをとめることはできないけれど、ここで無声映画を撮る意味は、監督にとって大いにあったようだ。
カウリスマキ映画にとって音楽は不可欠。【白い花びら】では、アンッシ・ティカンマキの作曲した音楽が全編にわたって流れている。それは感情をもりあげ、ときに物語をおしすすめるエンジンのよう。そして無声映画のルールを破るところもアキ・カウリスマキらしい。それは、アコーディオンの伴奏でエリナ・サロが歌う「さくらんぼの実る頃」(ジブリ【紅の豚】でジーナが歌う曲です)。そのシーンで、ほんのすこしだけ緊張がほどけるような気がした。
映画が終わり、再生プレイヤーのイジェクトボタンをおす。ディスクをケースにしまいながら、自分の日常がまだ続いていることに安堵して、胸をなでおろす。映画のなかのあの白い花はニリンソウだったのかなと、ふと、おもう。そこには、どんな意味が込められていたのだろうとかんがえる。たとえなにもなかったとしても、すべてに終わりがくるとしても、どんな絶望の淵にあったとしても、ちいさな光がこの胸のなかにあることを忘れずにいたい。
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白い花びら|Juha(1999)
原作:ユハニ・アホ
監督・脚本・編集:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
出演:サカリ・クオスマネン、カティ・オウティネン、アンドレ・ウィルムス、エリナ・サロ、ほか