これからの人生【浮き雲】

【浮き雲】(浮雲)と聞くと、つい、古い日本映画や二葉亭四迷を思い浮かべてしまう。そうしたことばのイメージから日本へのオマージュ? と勘違いしてしまいそうだけれど、この映画が捧げられているのは、アキ・カウリスマキ作品には欠かせない俳優、マッティ・ペッロンパーである。
これまでカウリスマキ監督は、多くのレギュラー俳優を起用してきた。きっと映画をその公開とともに観てきた人たちにとっては、彼らと一緒に年をとってきたように感じるのではないだろうか。俳優としての彼ら、映画のなかの登場人物としての彼ら、そして観客としての自分自身、それぞれがそれぞれの人生を歩みながら。
物語は、レストランの給士長を務めるイロナ(カティ・オウティネン)とトラムの運転手ラウリ(カリ・ヴァーナネン)の夫婦がともにその職を失うところからはじまる。夫ラウリがトランプのくじ引きでリストラされてしまう場面は、だれにでも起こりうることを見せられているようでドキリとする。インタビューによるとカウリスマキ監督は当時、ここで失業問題について語らなければいけないと考えていたそうだ。
日本製カラーテレビ、アヒルのゴム人形、レストラン最後の夜、ロシア観光のバス、職業安定所、クロスワード、差し押さえ、ギャンブル、アルコール中毒。彼らはいったいどこまで落ちていくのだろうか。いや、気づかないうちに現代社会はどこまで落ちていたのだろうか。カウリスマキ監督は、現実をシニカルに、そしてまた、あるがままに映しだす。
本来なら支えあわなければいけない相手にさえ、見栄やプライド、配慮が邪魔をする。だれにも打ち明けられないこと、だれにも必要とされないこと、過去に失ったもの、これから失うもの、蔑ろにされること、傷つけられること、さまざまなかなしみが降りつもっていく。希望の光をさえぎる雲はなかなか晴れない。
この【浮き雲】はもともと、マッティ・ペッロンパーを主演として撮る予定だったという。とつぜん彼を失ったカウリスマキ監督は、撮影中止を考えたものの、脚本を書きかえ、カティ・オウティネンを主演にすることにした。どこか俳優たちの演技や映像にはマッティ・ペッロンパーへの想いがあふれている。映画のおわり、空のかなたへと流れていく雲を、カティ・オウティネンとカリ・ヴァーナネンは笑顔で見おくる。
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浮き雲|Kauas pilvet karkaavat(1996)
監督・脚本・編集:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
出演:カティ・オウティネン、カリ・ヴァーナネン、エリナ・サロ、サカリ・クオスマネン、ほか