I. 夢と記憶〜いつかの子どもたちへ


2019年〜2020年、フィンランドのアーティスト、ルート・ブリュックの日本初となる展覧会【ルート・ブリュック  蝶の軌跡】が開催されました。この記事では、新潟県立万代島美術館展覧会のレポートをお届けします。

目次

旅のかけら〜ルート・ブリュックの軌跡

I. 夢と記憶〜いつかの子どもたちへ

II. 色彩の魔術〜先生って誰?

III. 空間へ〜自然に帰るもの

IV. 偉業をなすのも小さな一歩から〜地球は青かった

V. 光のハーモニー 〜 旅のおわり

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美術鑑賞ってどうしたらいいのか、いまだによくわかりません。マニュアルのようなものがあったとして、そこに書いてある通りに観ていくというのもなんだかおかしいような。つい、作品を観る前にキャプションを読んでしまったりして、シマッタと思うこともよくあります。

なにひとつの情報もないままでその作品を観たとき自分がどんなふうに感じるか。前回の例でいえば、作品のなかにある「かけら」と自分のなかにある「かけら」にどのくらい共通点があるか、共感できるか。つまるところ好きか嫌いかに行き着くのかもしれません。

いつも思うのは、子どものような真っさらな目でみることができたらいいなとということです。きれいだな、かわいいな、たのしいな。そんな感じなので、これから書くこともまったく参考にならないとおもいますが、出品リストにつけていたメモを見ながら、ルート・ブリュック展をふりかえっていきます。

最初に展示されていた作品は「雄鶏の皿」(Kukkolautanen, 1-21)。ひょいひょいっと一筆書きで描いたような素朴でカラフルなおんどりの絵がとてもほほえましいです。幼稚園のころ、素焼きのまるい板に、とがったキリのようなものでニワトリの絵を描いたことを思い出しました。ちょうど同じ構図ですごくほめられた記憶があるんです。

「コーヒータイム」(Kahvihetki, 1-38)では、プレートのような陶板に三人の女性がテーブルでコーヒーを楽しんでいるようすが描かれています。思っていたよりもずっと大きなプレートで、縁に彩られたひし形の模様がいいです。絵を描き終えたルート・ブリュックが「ちょっとさびしいかな、縁飾りしちゃおう」っと描き足したんじゃないかなと想像しました。

余白があると埋めてしまいたくなるのはどうしてでしょう。それってちょっと子どもっぽいのかもしれないけれど。お、まだ描く場所が残ってるって、バランスを取りたいわけでもなく描けることの喜びがどうしてもあふれてしまうのでしょうね。

初期の陶板は人物の肌が色づけされていないことが多く、また釉薬のバリエーションなどに制限があったのか、とても暗い印象を受けます。ビルゲル・カイピアイネンから学んだスグラフィート(掻き落とし)の技術による効果もまるでゴッホみたいです。それでもルートのユーモアのある人物描写や物語性がよいなあと思いました。

「無題/ふたり/雄鶏」(Untitled/Pari/Kukko, 1-33/34/35)は、いずれも直径約5cm~8cmの陶に女の子や花、鳥が描かれています。今回の展示でもっとも驚いたのがこれらの作品の小ささかもしれません。目にした瞬間「ちっちゃいっ」とつぶやいてしまいました。図録で見たときは大きさがわからなかったため、その絵柄にとても大雑把な感じを受けていたのですが、実物はとても好ましく感じました。やはり実際に作品をみてみないとわからないものです。

そのあとはポストカードのためのイラストやスケッチなどが続きます。水彩で描かれた天使や鳥などは、絵本の挿絵にもなりそうなとても優しい印象です。一方、リノカットの版画は暗く静かで憂鬱な感じが漂っています。「北欧的」というのはこういった暗さなのかなと思ったりもするのですが、うまく説明することができません。それでもどこか共通した色やトーンがあるように思います。

ここで不思議に思ったのが、なぜ陶磁器を扱ったことのなかったルート・ブリュックがアラビア製陶所の美術部門に招かれたのかということです。どんどん進化(深化)していくルートの才能を見出した当時の美術部門のアートディレクター、クルト・エクホルムの慧眼には驚きを隠しえません。

展示会場に流されていた「生きている粘土」というアラビア製陶所美術部門を紹介する映像(1943年作成)を見るかぎり、演技?緊張?していたという部分もあるとは思うのですが、ルートにとっては居心地がよくなさそうな雰囲気がしました。 それでも1942年から1992年までと50年にわたって美術部門に在籍していたことを考えると、ルート・ブリュックこそアラビアを代表する芸術家であるといえるのかもしれません。

展示の最後、ドキュメンタリー映像の中で、ソファに男性2人と女性1人がうなだれている様子を描いた版画「無題」(Untitled, 1-1)が、妹を失ったことを描いたものだと知りました。最初に見たとき女の子の人形が転がっているのだとばかり思っていたのに、それがそのまま妹の姿だったとは。改めて見てみると放心した3人の兄妹の哀しみがより深く届いてくるようでした。なるほど作品の背景を知ることで気づくこともあります。おとなです、笑。

次回は、スリップキャスティング(鋳込み成形)の技術を用いるようになった1948年以降の作品を見ていきます。