IV. 偉業をなすのも小さな一歩から〜地球は青かった
2019年〜2020年、フィンランドのアーティスト、ルート・ブリュックの日本初となる展覧会【ルート・ブリュック 蝶の軌跡】が開催されました。この記事では、新潟県立万代島美術館でおこなわれた展覧会のレポートをお届けします。
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今回の新潟会場では特別にグラフィックデザイナー亀倉雄策が収集し、万代島美術館に寄贈されたフィンランドの美術工芸品を見ることができました。亀倉雄策のことは全く知らなかったのですが、彼は1958年にフィンランドへ赴き、イッタラやヌータヤルヴィ、リーヒマキにも訪れたそうです。当時はタピオ・ヴィルカラがフィンランド館の会場構成を手がけたブリュッセル万博などでルート・ブリュックへの注目が集まっていました。
「──この皿は食事用でもなければ、事務用でもなく、全く無目的な飾り皿の一種ではなかろうか?」
亀倉は『婦人画報』1959年7月号で「くらしのデザイン7 フィンランドの蝶」として、ルート・ブリュックを紹介する記事を書いています。記事中では「ルット・ブレーク」と呼んでいるところが面白いです。機能的であることが、フィンランドデザインの大きな特徴だとすれば、ルートの創り出したものはそこから逸脱しています。けれどもくらしを豊かにするデザインとして存在していたことは確かなのではないでしょうか。
亀倉はルートの蝶を5つアラビアで購入し、日本に持ち帰ってきました。それらはみんな「蝶」(3-31)のようなモノトーンの蝶で、ルート・ブリュック本人が自信作として選んだものだそうです。また会場にはそのほかに、カイ・フランクやサーラ・ホペアの花器、オイヴァ・トイッカの鳥の置物などが展示されていました。
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さて、前回の続き、ルート・ブリュックはどこへ向かったのか。「赤い太陽」(Punainen aurinko, 4-1)は、インドの太陽です。オレンジ色の太陽のタイルの周りにレゴブロックのような燻んだタイルが並んでいます。最初見たとき、どうしてこんなに汚れてしまっているのだろうと思ったのですが、これはインドの土埃なのかもしれないと気づきました。
「スイスタモ」(Suistamo, 4-2)から続く、凹凸の部分だけに彩色された白いタイルによる作品をみて、最初に思い出したのは水彩画のパレットです。絵を描く前にいつもパレットに絵の具を並べて、色を広げていきます。パレットがきれいに色づけされた時点で満足してしまうことがありました。もう描かないでもいいんじゃないかなんて、笑。
スイスタモは、カレリア地方の土地の名前。「ドバルダン」(Dobar Dan, 4-3)は、クロアチアの挨拶の言葉。ルートは訪れたことのある場所をモチーフにしていきました。単純化したタイルをパズルのように組み換え、その模様の大きさや形、色でグラデーションをつくることで描かれたレリーフは、無機質なようにみえて、素朴で繊細な印象を受けました。
なかでも、娘マーリアのためにつくった「忘れな草」(Forget Me Not, 4-9)は、淡い釉薬の色あいが、より儚さを感じさせます。フィンランド語ではlemmikkiというそうです。
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また、それら白いタイルの作品と同時期に、黒いタイルの作品も制作されました。「青」(Sininen, 4-13)は、レゴブロックのようなマットな黒いタイルにコバルトブルー一色で彩色されています。まるで宇宙から見た地球のようだと思いました。この作品が制作された1969年は人類初の月面着陸が達成された年です。ルートもその映像を見ていたのでしょうか。ぽつんとツヤのある黒い釉薬が塗られているタイルもあり、星影のような微かな光の存在を感じました。
その「青」と対をなすような白い「2」(Kaksi, 4-14)。なぜ「2」なのだろうとじっくり見ていると、凸型のレゴブロックの中に2つだけ凹んだレゴブロックが見えてきました。その上に少し広い範囲に長方形の凹んだブロック群があり、もしかしたらラップランドのサマーハウスからルートとタピオが出てきて、自然の色を探している様子なのかもしれないと想像しました。
「水辺の摩天楼」(Pilvenpiirtäjät veden äärellä, 4-16)は、摩天楼がミニマルなタイルで描かれています。水に映るその影がゆらめいているように見えて、とてもきれいでした。よく目を凝らしてみると、ビルの白い窓に人影があったりして、ルートの細かい遊び心が微笑ましいです。
自然を愛したルート・ブリュックが、一方では都会の摩天楼の様子を描き、そのタイルのモザイクは、まるで顕微鏡の中の細胞組織もしくは回路図やコンピュータグラフィックスのようにも見えてきます。展示の最後に流されていたドキュメンタリー映像でも語られていたように、ルート・ブリュックは相反するものをすべて包み込んでしまえるような感性の持ち主だったのだなあと思いました。
「花束」(Kukkakimppu, 4-12)の黒い花を観ながら『色』というものを考えました。夜の暗がりに咲く花は鮮やかにみえるでしょうか? 昼間に見た花の色を想像してきっと鮮やかにみえるはずです。「色彩の魔術」と呼ばれたルートの色はその多彩さを失っていったかのようにみえますが、抑えられた色が反対にもっと『色』を想起させるような強い印象を受けました。
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「木」(Puu, 4-17)は、そのスケールを2.5倍くらいに大きくしたものが、フィンランド銀行の玄関ロビーに展示されているそうです。ふと、タイル自体を大きくしたのか、それともタイルの数を増やしたのかが気になりました。学芸員の方が図録を持ってきてくれて、展示作品と見比べてみました。答えは両方でした。おそらく同じ図案をもとに、大きなタイルも用いながら、より多くのタイルで制作されたようです。
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「移ろう光の印象をとらえる」
作品に添えられていたキャプションで気になった言葉です。ルート・ブリュックはどこかで、色は光の反射であると気づいたのではないでしょうか。眩しすぎる光の中でも、真っ暗な闇の中でも、色というものは見えなくなってしまいます。色から光へ、それがルート・ブリュックが向かった先でした。
最終回「V. 光のハーモニー」へ続きます。